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【日記】あきらめて生きる 2024/01/18-25

2024/01/18
今日も特に為すことなく夜が来る。昨日の時点で知っている、もう終わっていること。
変わろうとしないから変わらない。変わらないものを大事に抱えているから変わらない。
変えない限りは変わらない。
灰色の色彩に期待することもなく、違いを生もうとせず、諦めることを賢い行為と決めつけて、もう取り返しのつかないことだけは気づいていて、とめどない流れに身を任すことだけを続けている。

心の声を殺したい。そうすることが生きること、生き抜いていくことだと思いたい。心が煩わしい。
冬の暁闇に身を投げ出したい。体のことが分からない。眠りたいのか疲れているのか、おなかが空いているのか、何を諦めたいのか諦めたくないのか。体は一身に生きようとする。不思議な程に真っ直ぐで、太陽の日差しのように単純。体は言葉を持たず、夏の無垢さで輝いている。単調に真剣に無為に続いている。
非常に怖いのだ。

2024/01/19
逃げたいボクの居場所探し。押し込められたように今の闇に存在している。ここに居ることを選んだわけではない、後出しジャンケンで負けたような心地、絶え間ない取捨選択ののち選びとったものではないと思いたい。のだけれど、これまでの足跡を遡ってみると、どうにもその足取りは確かに力強く、これまでがボクの生きた証になっているようだ。それでもここは息苦しくて、やっぱり逃げだしたいと思っているのも事実。
 
迫り来る朝焼けから笑うように逃げたあの瞬間を思い出す。世間は始まろうとしているのに、ボクはこれから終わろうとしていた。あの心地が、本当に楽しかった。約束された断頭台に向かうような、燃やし尽くされ滲んでいくように眠るような、もう何も思い残すことはないあの感覚。

続けることに伴う恐怖、勇気、気力、それらとは反対にある怠惰。それが今のボクなのだろう。逃げ出そうにもここに居続けようにも、それすら選択することを迫られる。それがただただ嫌なのかもしれない。今のボクでいることを諦めたいから誰か代わってくれることを望む。そんなことを思いながら、星の見えない夜空を眺めている。そんなことなどできない事実が夜に強く映る。


2024/01/25
満月 (真なる意味で満月なのかは知らないけど) をみた。あいにくの曇り空ではあったが,そこから見え隠れしたり,雲に満月の明かりがすけてみえるのがむしろよかった。曇天の色彩にも味わい深さがあることを知った。

こういう,自然の美しさに魅せられたとき,いつも思うことがある。
勝手に (あくまで勝手に) この世界に生み落とされて,濁流に身を削られて,酷く汚れて疲れてしまった体。そんななかにあんなに綺麗なものを見せられて,心がなんとも反応する。次も見たいからぜひ生きろと反応する。体からしたらたまったもんじゃない。

今日は本当に (真なる意味で) なにもしていなかったように思う (何もしていないというに,日記 (日記をつけるということはその日あったアレコレを記述する,つまり,その日をその日としてラベルを貼る行為を意味する) を残そうとするこの心意気,大事にしたい)。何もしていない。怠惰の象徴だ。一番星だ (?)。
己が何を為さなくとも日は流れ,世界は回るというフレーズおよびそれに類似した表現は,古今東西呆れるくらい書物映像その他諸々に現れ,同様に多くの人間の覚える観念である。だいたいその観念は,自分がいてもいなくても変わらない,という意味を携える。
その観念については本当にその通りで,その通りすぎて呆れる。己が何を為そうと為さまいと,少なくとも,自分自身はそこに存在している。そこに存在している自分自身が何を感じたか,何に憤り何に喜び何に悲しみ何に絶望したか,それらを感じている自分自身はそこに存在している。何を為そうと為さまいと,自分自身がいなければ世界はそこに無い。また,他者の世界の役者として強制的に存在しており,何を為そうと為さまいと,その舞台は舞台として成立している。

己が何を為さなくとも日は流れ,世界は回る。されど,世界に感じる心は確かにここに在って,加えて,気づかぬうちに私も世界に組み込まれている。やっぱり私が私の世界に絶望して消えてしまっても,素知らぬ顔で世界は回る。それが私という役者の辿る末路であっただけで,舞台は正常に行われる。それは本当にその通りなので,とりあえずそのことには何も思わずこれからも過ごすのだろう。




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