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感受性の言語を学ぶ

われわれはいつから感受性を取り除き、明確な数値や定義された言語だけで生きるようになったのだろうか?

長嶋茂雄が

『球がこうスッと来るだろ。そこをグゥーッと構えて腰をガッとする。』

オノマトペで説明をする
これは本当にわかりにくいのだろうか?むしろ一番わかりやすい言語なのでなはないか?

ではなぜわかりにくいのか


それは感受性が違うからだろう。言い方を変えれば言語が違うからである

いくら英語でわかりやすく説明されても日本人にはわからない

それと同じである

だから、オノマトペがわかる感受性、言語習得が必要である。

そのために必要なことってなにか

それはやはりオノマトペを使うことであり、音なき音を聞くことである

難しそうに聞こえるかもしれないけど、
われわれ日本人は音なき音を聞いている

「しーん」とか
雪が「しんしん」降るとか

特別なことはなにもない

いかにそとの出来事を自身の体験にするか、それが感受性の言語である

そとの出来事を身体化して、雪がしんしん降っている、そして同時に自身のなかにもしんしんがある。
自分と雪の関係性ができあがり、しんしんを携えた身体は自然と静けさを携えた動きになる
そしてそれはまた新たな「ふー」っとした動きになり鉄瓶を取る動きになり、
鉄瓶から注がれたお湯からは「ふわー」として湯気がたちのぼる
そして様々なものとの関係性の中でオノマトペが身体の中に多重奏的に積み重なり、新しい経験を作り、世界観を作る

次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。