休職3週目 ~新生に向けて~
1週目はゆっくり休みました
2週目は自分のやりたいことなど、のらりくらりしてました
twitterのフォロワー増やす
noteの記事を色々書く
父の付き添いで墓じまいを手伝う
3点目についてはこちらを参考に
今日は3週目に入り、カウンセリングを受けました。気づきがあったので、誰かの何かの参考になれば、そして自分の頭の整理として書かせていただければと思います。
新生に向けて
今回、カウンセリングを受けての結論は
新生miyaになることでした。
なんやそれ!ですが、以下の3点を通して結論までたどりつきたいと思います。
心理テストをして見えてきたもの
前半20年の家庭教育
後半20年の社会教育
心理テストをして見えてきたもの
3点の心理テストを実施した
コミュニケーションスタイル
認知の偏り
VAKテスト
総論としては、まんじゅうに例えた場合、あんこ(核の部分)は問題なし。あとは皮の部分がストレスでやられてしまったという感じ。
皮も湿気に強い皮もあれば寒さに強い皮もあるので、適切な皮が張れるようにしたらよいとのこと。
どんなアンコか、どんな性格だったのか
1.コミュニケーションスタイル
全部で10種類の軸があり、その中で以下のように5種類の対の関係性になっている。
共感ー権威
傾聴(受容)ー命令
許容ー攻撃
柔軟ー主観
親しみ(信頼)ー無関心
左側が「ポジティブ」、右側が「ネガティブ」であり、今回すべてネガティブよりポジティブの方が点数がよかった。
ここからわかることは「人とのコミュニケーション」においてどこに課題があるか。
今回、ポジティブの中にネガティブがすべて下にあるために、大きな課題はなく、周りから話しにくいなどはなさそうとのこと。
ポジティブとネガティブが近かったり、逆転していたりすると、課題があるとみなされる。
ポジティブ部分が低い場合、まず相手からの情報収集の部分で課題となり、次に「ネガティブ」部分の要素が高いと情報処理において自身の思いが強く反映されるため、工夫をしないと誤解を与えかねないと考えられる。
今回、親しみが12点、無関心が9点(20点満点中)であり、少し特徴はあるかもしれない。
→あまり人に対して親しみを強くはない方だが、やさしく接しようとはしている。そしてそのあと聞いた情報に対して整理をして、新しいアクションをとることはあまりない。プレゼントやお返しなどへの行動へつながることがない。
2.認知の偏り
認知の偏りについてはどれも高得点はなく偏りは少なかった。
自身の特徴として以下である。
・やや決めつけたり、さらには適切なレベルで評価できず、低く見積もってしまうことがある。
・一方、相手からの反応を読んでどうするとかはあまりない。したいことはしてしまうし、返ってきた反応にも適切に反応できているというよりは、一部だけを過度に拾いあげ、社会人としては可もなく不可もなく適応しているが、もう少し相手への配慮に気を配ってもよいかもしれない。(無理のない範囲で)
3.VAKテスト
情報の処理や理解や判断をするときに、ビジョン(視覚)かオーディオ(聴覚)かキネステティック(触覚)かである。
聴覚がやや弱かった。
何かものごと判断するときに「人から聞いたこと」などでの判断をすることはあまりなく、実際に見た情報や実際に体験したことで判断することが多い。
単純にどの感覚が優位に働くのかだけだと思っていたが、そのあとの判断や自分の考えにも大きく影響するということが分かった。
解決方法としては、以下の2つの方法がある。
音楽を聴いたときにいくつかに分けて聞く
メロディを聞いてよいと思ったら、歌詞だけを読んでみる
反対に気になった歌詞がある場合、今度はメロディだけを聞いてみる
歌舞伎がよいらしい
人生、前半20年の家庭教育
今回、改めて家庭教育の中での偏りがあったと思った。
父について
たとえ話で以下の話をカウンセリング中に聞かれた。
先生:「もしあなたから、500円を借りて、次のカウンセリングの時に返すのを忘れていた時に、あなたは500円のことを話題にしますか。」
私:「自分が忘れている可能性もあるが、思い出しても言わないと思う」
先生:「なぜ?」
私:「500円を返してって言ったら、断られたり嫌な思いをしたり、さらには500円ぐらいって思われたりしないかと思って」
先生:「そう。心の読みすぎが高いかったり、先読みの誤りが強いとそうなるし、日本人はそういう傾向にある。でも自分が返してって言われたらどう思う?」
私:「あっ、忘れててごめん、言ってくれてありがとうって思う」
先生:「そうそう。人ってあまり人のこと気にしていないし、言ってもいい。」
改めてそうだなと思ったと同時に、父のことを思い出した。
きっと父ならこういうだろう
「けち。いいじゃん。」
ん?借りておいて、それはないだろうと今なら思う。
でも小さい時は普通に傷ついた。傷ついて、自分が悪いと思い、恐れて、言わなくなる。500円は自分のものなのに。
それの繰り返しで、「自分の権利、自分のものであり、主張しても、父の価値観で自分が傷つく」ということを学んだ。
→なかなかこの認知のゆがみをとることは困難。社会人になってこんなことを言われたことはない。しかし心のどこかで言われるのではないかと思って、当たり前のことが言いにくかったり、安心している相手じゃないといえなかったりする。
母について
VAKについても以下の話が合った
先生:「聴覚が強い人の場合、人からの評判などで判断することが多い。だから、視覚情報などデータなどでその人を説得しようとしても伝わらないことが多い。」
私:「聴覚はとても低く、自分の家族では良くも悪くも誰かのうわさ話などをすることは皆無でした」
この話をしたときに、自分の家では会話はほとんどなかったことを思い出した。そして母はときどき「自分の家では誰かのうわさ話とかしなくていい家よね」と言っていた。
→いまから思うと、余計なうわさ話や人を小ばかにするような話はいらないかもしれないが、必要な情報もなかった。
改めて思うと、家族全員、聴覚からの情報が弱かったのかもしれない。そして外に対して無関心だったのかもしれない。
これについては、聴覚を鍛えていきながら、自分の考え方など変えていけたらと思う。
社会人になってから、20年の社会教育
社会人になって、きっと誰もがコミュニケーションで苦労するが、やさしい同僚先輩のおかげで以下の部分の改善ができた。
相談ができない
報告ができない
話をまとめられない
会社に入ってから多くの人に助けられて、前半20年の家庭教育の部分はだいぶ修正された。
相談できるようになり、相談の仕方もうまくなり、一足早めに相談することで自分の困っていたことが一歩進むことも学んだ。まとめる力も弱かったが、少しずつ下手な議事録でも数をこなすことで、カメの進歩ではあるが、進化した。
それでも元気がなくなったり、窮地に立ってしまったりすると、悪い癖はできたりする。相談した方がいいことを相談できなかったり、早めに報告した方がよかったことを後回しにしたり、議事録など聞いた話をうまくまとめられなかったりすることがある。
→でも、少しの変化を大切に、できたことを積み上げていきたいし、なりたい自分になっていきたい。
新生に向けて
ということで、だいぶ社会人になって育った家庭環境、親に対する見方が客観的になった。
培った成育歴による影響も無視できないし、自身の持っている能力も無視できない。
そして社会に育ててもらったことで着実に変化したこともある。
親に対しても、自分の能力に対しても、そしてそんな自分を社会のみんなが育ててくれたことにも感謝である。
少々の認知のゆがみは誰にでもあるし、それがその人の味わいにもなってくる。
自分の性格を背負って歩いていく、また社会も大きく変わっていく。
だから、できることは何か。
「しっかり休職して、休む。
自分を見つめなおせる部分を見つめなおす。
41歳の人生の折り返し地点で、
まんじゅうの皮の部分を少々変更して、新生する」
ことにしました。
誰かの何かにヒントになればうれしいです。
引き続きよろしくお願いいたします。
次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。