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自己受容による自己変容

ありのままの自分でよい

どこの誰が頭からそれを鵜呑みにできるというのだろうか?

そのままでいいよと言われ、はいそうですかとはなかなかなれない

そうは言ったって、どうせ
あれもこれも求めてますよね?
今以上のものを求めてますよね?
いまのままじゃだめ、といってますよね。

となる

でも、実際それを言ってくる人はほとんどいない、相手の言葉を聞いて自分が追加しているだけである。

つまりは「そんなこと(もっと変われ)」と言ってくるのは自分である

いやいやそういう話じゃないしってなるかもしれない。そんなダイレクトな言葉を相手が言ってこなくてもそれを感じるし、それを求められてるんだよ。
確かにそうだと思う。でもそれは社会の空気であり、その空気を感じた自分が自分に対して言ってる言葉である。

社会ってなんだろう
みんなが本当にその社会を求めているのか?
何か求められてそうだから、それにのって自分を責めて自分が変わり、変わった自分を社会で表現し、無意識に周りに押し付け、押し付け返されてるのが社会じゃないのか

だったら、最初から何となく変わることはやめよう
変わらないと思うことは難しいかもしれないけど、変わろうとする努力を見せたり、変わってきてるよっていうアピールもやめよう


もう一度、ありのままの自分を感じよう、不器用でいい、できなくていい、
それの何がいけないんだ。できないことをできるようにしないといけないとか、ありのままじゃ駄目なんだと思ったりすることに、意味はあまりないと思う

でも思ったり、感じたりすることはあっても、今一度深呼吸して、ありのままの、できない自分やできる自分で居続けよ

そして一呼吸おいて、進みたい方向に一歩踏み出そう。
ありのままの自分でいい、と言ってもありのままで居続けられる生命体は存在しない
変化し、老化し、成長し、勝手に変わっていく

変わっていく感じを追いかけよう

次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。