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治さないという決断

病は治るのか?

治せるものは治したい。
しかしどこまでいったら治ったと言えるのだろうか?

腰がいたい
→痛みがなくなった

これは治ったのだろうか?
→痛みが取れたのは治ったという指標の一つではある
→痛みがとれても実は何も治っていないかもしれない

からだの治療においていえば、どこかが壊れていて、そしてもとに戻れば治ったといえるだろう。

一方で死の病はどうだろうか?必ず老化して必ず死にいたる。
この病はまだ誰も治すことはできない。

治ると治らないの間にいつもいる。この間の中に人生がある。

ある限界を超えれば死んでしまう。
限界を超えなくても時間的限界で死んでしまう。

最後は死んでしまう。じゃあ、結論にたどり着くために死んでしまえばよいかと言われたら、実際は多くの葛藤があり、生きたい人もいるし死にたい人もいる。
そして言ってることと全く違うことをしていたりする。
苦しみから逃れたい。楽な生活をしたい。
寒暑風湿を避け、からだへの負担をなくそうとして、快適な暮らしへと迎い、でも明日の仕事に行きたくない、じぶんなんて価値がないと思うが、大切に扱っている。

矛盾に矛盾を重ねている。

仕事楽しい、海に行くの楽しいといいながら、
ストレスを感じて仕事をしたり、夜遅くまで仕事をしたり、紫外線を浴びまくっていたり、
楽しいことをしているときの方がからだに悪いことをしてる。

一体どこに向かっているのか?


次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。