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発達障害人のできない世界の歩き方

発達障害かもしれないと自分を疑い、いくつかの傾向があてはまり、そりゃできないよねってことで安心したくなる。

でも、自己認識を変えたとしても、世界は変わない。むしろ、世界は我々に様々なものを求めてくる。

  • 周りの人への配慮

  • 多様性の尊重

  • 相手がいやだと感じていないか

  • なぜ生きているのか、目標はなにか

  • そのために何をしているのか

  • より良くしたいと思わないのか

  • いまのままではダメになるのではないか

ありとあらゆる無言の問いが求められている。

そして、様々な壁にぶつかる。

  • コミュニケーションのずれの壁

  • 価値観のずれの壁

  • 将来の夢がない壁

  • そこへたどり着くための方法、手段が見つからない壁

  • 手段や方法を段取りつけて組み合わせる壁

そして、こう言われる

  • 余計なことをいわなくていいよ

  • なんでわからないの

  • 話を聞いてないの

  • なんで忘れるの

  • メモした方がいいよ

  • 段取り考えた方がいいよ

言われて、できることもある。
でも、言われても、練習してもできないことがある。壁が大きいのだ。
そうなると私は、僕は発達障害なのかもと思い始める。

発達障害の障害は私自身の障害というよりは社会と私の間の壁のことだろう。
同じ世界にいるけど、見えない壁がある。そちらの世界にいけないのだ、とばりが降りてそこへいけないのだ。壁が高かったり低かったりするが、例え低くてもその段差や壁を乗り越えるためには人より時間がかかったりパワーがないといけないのだ

でも、人は言うのである、

  • なんでできないの?

  • 普通にしたらいいよ

  • そのうちできるようになるよ

自分だってできるようになりたいよ、
できるようになりたい
壁を取り払いたい
気軽に壁や段差を気にせず一緒の時間を過ごしたいよ
そのために見えない段差に気を付けて、壁を乗り越えて、普通のつもりで一緒にいるけど、疲れちゃうから、最後はひとりが楽ってなるんだよ。

求められる世界の広がりと孤独

最近の日本なのか世界なのかわからないけど、無意識に求められてることが多く、気づくと見えない壁に囲まれていて、孤独を感じている人が多い世の中なのだろう。


人への配慮や多様性を認めることや飛行機やネットなどの技術によって世界は広がり便利になったかもしれないが、
見えない壁が立ちはだかることも多い

これは発達障害人だからというだけではない。
グレーの人も定型発達の人も同じで、例え世界が広がっても、見えない壁の中で生きていくしかないのだ。

世界の広さを知りつつも、自分が過ごせる壁の中の世界を知る。
壁を壊すのか、別のルートを探すのか、再度目標設定するのか、人それぞれだろう。

みんなと同じようにできるようにすることを目指す必要はないのだと思う。

壁があっても壁の世界の中でみち草くいながら生きることも楽しいし、ときには壁を削ることも楽しいし、余裕があれば障害物があった方が楽しく生活できることもある。

自分の世界を自分の歩き方でたのしもう。

次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。