インプットには「正解」を作れるけどアウトプットには作れない
アウトプット先行で生きることが、豊かな人生を連れてくる、とそう思っている。統計的に根拠はないし、僕自身のこだわりみたいなものだろう。とにかく手を動かす、をやりたいことに関してはやったほうがいいと思っている。反対に考えれば、手が動かないものはやりたいことなんじゃないとも、思っている。
どんなアウトプットがいいんだろうか?あんまりこれまで突き詰めていなかった。経験学習のサイクルで言えば「計画」「実行」「反省」をぐるぐる回すことだろう。でもこれは流れであって、何を、とか、どのように、とか、アウトプットの種類を言っているわけではない。アウトプットの仕方を、言っているわけではない。
インプットには種類がある。インプットの仕方にも種類がある。ならば同様にアウトプットの種類がある。五感の種類による、音楽なのか言葉なのかエクササイズなのか。無限の可能性が横たわっているように感じる。
ああ、なるほど。アウトプットには「正解」がない。厳密に言うとインプットよりも「正解」の条件を決めることが難しい。インプットは可能性を狭めるが、アウトプットは可能性を広げる方向に進む。インプットは身体に規定されており、アウトプットは想像力に規定される。インプットは今ここを如実にするが、アウトプットはいつか先へと送られていく。
よいアウトプットが何か!おそらくその無限の可能性の中から「これしかない」を見つけることなのだろう。はみ出しもなく、偏りもなく、まさに、「それ」を射抜くこと。輪郭が一致しているものを探し出すこと。
海岸から、たった一粒の目当ての砂を見つけること。
そのヒントは「出すものの当時性」にありそう。今まさにそれ、をどうつかまえるか。つかまえるためには膨大な網目が必要になる。それが知識や経験や思考であろう。
アウトプットとは、投網なのだ。
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浮葉庵の庭
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