場を信じるということ

「教育」という仕事に携わっているので、最近企画をファシリテートすることが多くなってきた。

企画をする、でもなく、企画をこなす、でもなく、企画をファシリテートする。

主体は生徒たちだからだ。

企画をするためには、「状況」「目的」から概算して必要なものをそろえ、スケジュールを管理し、現実に合わせていくことが求められる。企画をこなすためには、主催者が何を意図して、どうしたいかを考えながら、どう回るかの歯車を作っていく。

企画をファシリテートする、とは「そもそも人が企画を立てたくなる」ようにして、「企画をうまく回すためには」という根本を伝えていくことが必要になってくる。

これは、「企画をする」と「企画をこなす」の両面を知ったうえで、さらにメタな位置に立てるようになってきたから少しずつ分かるようになってきた。

とはいえ、かなりの企画をそそのかし、うまくまわらずに失敗していることも多い。そのときの「感覚」を反省してみると「場の力」を信じていないときが多かった。

「場」を信じるとは、個々の能力を信じることであったり、場からエネルギーをもらったりすることだけではなく、私なりに解釈をすると「場がよい方向に場自体が向かっていく」「向かっていくことを疑っていない」「向かっていくことに嫌だと思っていない」というような「感覚」がある。

その「感覚」を分解して言葉にすると、あったかいものにふれているような、ひっかかりがないような、ちょっとだけ先取りをしているような、そんな感覚を覚えていることが多い。

今日の酒場では、あるプロジェクトが終わった打ち上げもすこしだけ兼ねていた。そのときに、話が出た「場を信じる」ということ。もちろん、たくさん大変なことをしてもらったのも大きいのだが、その場を信じ、楽しむことができると、人生も豊かになっていくのだろう。

大げさに言えば、「人の人生を応援する」とは、「人の企画をファシリテートする」という構造と同じである。実行者はその人自身。応援することしかできない。

もちろん、私も死んだことはないので、一回の人生という「企画」をやりとげたわけではない。なので偉そうなことは到底言えないが。人の「企画」をもっと応援できるようになりたいと思った酒場でした。

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