これからの世界の根本的価値とは?

植松努さんのブログ
https://ameblo.jp/nyg1t10/entry-12561908183.html

ちきりんさんのブログ
https://chikirin.hatenablog.com/

をシェアした、という話題からちょっとした未来の生き方の話に。二つのブログに共通しているのは「これまでの生き方では通じなくなること」「新しい価値を見出す必要があること」。

僕なりに考え、今日思いついたことがあるので、ほんの少しだけ共有します。

植松さんが「自由人」と言い、ちきりんさんが「思考時代」というものが、なぜ必要なのか?

もちろん、「これまでのモデルでは食えなくなる」からだ。ただ、「AI時代が到来するから」とか「人口減少になるから」とかだけでなく、個人的にはもう一歩根本的なポイントを押さえたいとずっと考えていた。

そんな中、『場と共創』(清水博ほか、NTT出版)を読んでいるときに、利益と損益は表裏一体という記述を見て、改めて腑に落ちた。

これまでの収益モデルは、「利益を得ると誰かが損をする」ことで成り立っていたのだ。

人が増え続けているから、「損」な人も「得」な人もどこかで救われる。人ができる仕事が「我慢できる範囲」であるから、「損」な人も生きられてきた。

しかし、今後はそうはいかない。

「利益を得ると誰かが損をする」を、純粋にひっくり返すと「誰かが損をすると利益を得ることができる」となる。人間はある一つの命題を信じると、いつの間にか「逆」も成り立つような錯覚に陥りやすいと思っている。

「誰かが損をすると、利益を得ることができる」というのは、僕の用語でいうと「イケニエの世界観」である。なにかを贄に捧げると、それに見合った「対価(利益)」を得ることができる。それは、自分以外の何かかもしれないし、自分の時間や精神や持ち物や・・・なにかを犠牲することである。

怖いのは「犠牲にしなければ対価(利益)を得ることができない」という価値観にまで昇華している場合である。

今後は、犠牲にしても「何も得られない」、すなわち「マイナスしか生まれない」ということが平然と起こってくる。そんな世界の中で、「イケニエの世界観」から生き延びるために必要なのは「リョウドリの世界観(仮)」である。いわゆるWin-Winの関係や三方良しの関係。

それが「共創」ということである。

共創にはテイクがない。持ち寄って、共有して、創り出す。

ギフトの世界だと思う。

特段キリスト教徒ではないけど、巷の雰囲気が「贈与」にあふれるこの日だからこそ、見えた未来像かもしれない。

ギフターの一つの象徴である「サンタ」に思いをはせつつ。

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