「エネルギー」から見た世界

心は「エネルギー」である。

そこに気づいてから、いろんなことを「エネルギー」で考えてみたくなる。僕らが見ているものは、「エネルギー」である。言葉も、「エネルギー」だ。

怪しすぎる。

だが、論理構造とはなんなのか?
この世のいろいろなものが、事象が、「エネルギー」のやりとりならば、そこになんらかの関わりがある。

僕は、「エネルギー」と「論理」を分けすぎている。

湯川先生、梅棹先生の「当為性」の世界から50年以上経とうとしている。そろそろ、次の世界を開きたい。

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