自由の承認とは、たぶんおかしな話で

進めていただいた鈴木大拙の言葉を読んでいる。

最初の「自由」の項から面白い。

「自由」は訳語であり、古来日本や中国で使われているニュアンスとは異なると言っている。

「束縛からの解放」を「自由(リバティ)」と西欧では言うが、東洋では「自ずから由る」こと。由るとは存在であること。

絶対とは「対するを絶つこと」すなわち「他との存在区別を絶つこと」。

ごちゃごちゃ考えなくてもそこに存在することが「自由」なのだと思う。

欲望(これは他の存在が関与している)のままに、ではなく、自ら由る。

なので、誰かに承認してもらう必要は本来ない。

ひとつになればよいのだ。

以下オマケ

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