春
結婚にはお金がかかる。
「いつか結婚したいなあ」「やっぱり結婚式は教会式でバージンロードを歩きたいなあ」「いやいや神前式で白無垢も捨てがたいよなあ」と夢をふくらませることはあっても、実際に働き始めるまではそれはやはりリアルではなくて、ふわふわとしたあこがれでした。
ところが社会人になったとたん、結婚が身近な問題としてさしせまって感じられるようになりました。
先輩たちとの飲み会の席で。大学時代の友だちとのおしゃべりで。そしてSNSで。結婚の話題はすこしずつ、でも確実に私たちの周りに現れはじめました。先輩たちからは「ご報告」が相次ぎ、「婚 姻 届」の一文字ずつに婚約指輪とふたつの結婚指輪を重ねた写真を見ながら、「私は指の号数が小さいから、⚪︎⚪︎○みたいな感じになるのかもなあ」などとぼんやり考えていました。
それでもまだ、さすがに社会人1年目での結婚はほぼ聞きませんでした。まあ実際、働きはじめて間もないし、お金だって十分貯まっていないだろうし、そんなもんだよねえ。そこまで考えたところで、急にお金のことが気になってきました。お金がかかるって言うけど、一体いくらくらいかかるのかしら。調べてみよう。かくして私は知るのです。「結婚にはお金がかかる」の真実を。
それからの私は、もう、死に物狂いでした。とは言っても私の勤め先は出来高制ではないので、がんばって働いたところでお給料は変わりません(もちろんまじめには働いていますが)。貯金額を増やすには、支出を削るしかない。
私は毎月自分にきびしいノルマを課し、とにかく節約に励みました。服は買わない。美容室にも行かない。コンビニやドラッグストアにはできるだけ寄らない。100円の缶ジュースも買いませんでした。買ったら100円分、結婚が遠のく気がして。
もしかしたら私がやっていた節約術は、もともと倹約家の人からすればあたりまえなのかもしれません。
ただ、それまで特に浪費家でもないけれど、さりとて節約家でもなく、周りの友だちと同じくらいは服やコスメやランチにお金をつかっていた私には、ひとつひとつの制限があまりにもつらかった。毎晩のように残高を確認して泣いていたものです。こんなにがんばってるのに、どうしてこれだけしか貯まっていないの?
この頃から、彼や親から心配されるようになりました。彼と遊びに出かけても、私は節約のため食事をとらず、彼が食べ終わるまで別の場所で待っていました。親からは心療内科の受診を勧められ、でも私は本来おめでたいはずの結婚のために病院に通うなんてゆるせませんでした。
頭の中には結婚とお金のことしかなく、それはとてもくるしく、だけど絶対にあきらめたくなかった。この世の中には、努力しても叶わない夢がたくさんある。だけどお金は、私ががんばりさえすればかならず貯まる。お金が貯まれば、結婚が叶う。だから今日我慢した100円の缶ジュースは、結婚への100円分の投資なのだと、信じて疑いませんでした。
一種の宗教めいた貯金生活は、社会人2年目に入っても続きました。
社会人生活にも慣れはじめ、友だちはちょっと贅沢な旅行をしたり、百貨店に入っているブランドのコスメやアクセサリーを買ったり、華のOL生活を謳歌しているようでした。私にもそういう生活へのあこがれがなかったかと言えば嘘になります。お給料日やボーナス支給日、ついショーウィンドウの服やバッグに吸い寄せられ、それからその日口座に入った金額を思いうかべて、しばし黙考してしまうこともありました。
しかしそういうとき私を思いとどまらせるのは、それまでに貯めた貯金額と節約の日々でした。皮肉なことに、貯金を始めたばかりで残高が微々たるものだったときは「貯金がない」と泣いていたのに、ある程度貯まってきたら貯まってきたで「これだけの努力を水の泡にはできない」というプレッシャーに駆られ、ますますがんじがらめになっていたのです。
社会人2年目の間に、友だちが4人結婚しました。結婚の報告は一様に私を悲しませました。
学生時代をいっしょに過ごした友だちの結婚、それ自体はおめでたくて、うれしくて、喜ばしいのです。本当に。
だけどそれに引き換え、私は?何の未来への確約もなく、ただ「いつか」必要になるであろう結婚資金をぼろぼろになって貯め続けるしか能のない、私は?
友だちの結婚を知った夜は決まって泣きどおしでした。泣いて泣いて、何がつらいんだかよくわからないのにとにかく涙が止まりませんでした。食事をとることも眠ることもできず、彼にも当たり散らし、そして友だちの結婚を「つらいこと」の部類に含めて受け止めている自分自身の小ささに絶望しました。
それでも。
どんなに絶望しても、私には唯一の心の支えがありました。社会人3年目を迎え、それなりにまとまった額の入った定期預金です。
ぜんぜん本質的でないのはわかっています。たしかに結婚にはお金がかかる。でも結婚に必要なものはお金だけではない。そんなことは重々承知しています。
だけどこれしかできなかった。約束も誓いもない私には、貯金しかなす術がありませんでした。いつになるかはわからないけど、いつかは絶対に必要になるものだから。だから毎日毎日、祈るような気持ちでお金を貯め、希望を先送りにしてきたのです。いつ実現するかわからない夢を見続けることに、腐ってしまわないように。
そしてこの春、世界は一変してしまいました。
毎日必死でつないできた希望が、ほんとうにちぎれてしまいました。
いままで何のためにがんばってきたのでしょう?
未来はわかりません。それはいつ、どこで、誰にだって平等なこと。でも今の状況では、「いつか」を夢見ることさえできません。それならこの手元にのこった貯金は何。何の意味を為すの。あんなにも大切にしてきた定期預金が突然、忌々しいもののように思えてきています。
私の貯金物語は、最終的にはハッピーエンドになるものと信じて疑いませんでした。いつになるかはわからないけれど、その日が来たら、鐘の音が響き花があふれ、親や友だちと笑いあい、だいすきな人と誓いを立て、そして「ここまでがんばってきてよかったな」と自分自身に感謝するのだろうと。
それが今は…
結婚にはお金がかかる。だけどお金を用意しても、叶わない夢もあるのです。
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