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Wikipedia「パレストリーナ」における記載内容について

当記事では緩めの論文調で問題個所の提示とそれに関する考察を行います。Wikipediaのジョヴァンニ・ダ・パレストリーナの記事には、ドイツ語のページは出典明記について確認が必要な箇所が、日本語と英語のページには語弊のある表現があるのではないかと思われます。理由を4つの項に分けて解説します。なお、指摘漏れがあるかもしれませんがここには筆者が確認したことだけを書きます。必要上文章が長いですが要点は太文字を読むだけで追えます。

パレストリーナ(1524-1594)はイタリアのパレストリーナという都市で生まれたルネサンス後期の音楽家です。

1. まず、筆者が最初に参照したWikipediaのドイツ語のページでは

"[...] In diesem Zusammenhang ist Palestrina erstmals 1609 von dem Komponisten Agostino Agazzari (1578–1640) als „Retter der Kirchenmusik“ bezeichnet worden, der mit seiner Missa Papae Marcelli solchen reformerischen Forderungen mustergültig entgegenkam."
「[...] このような文脈で、パレストリーナが「教会音楽の救世主」と最初に評されたのは、1609年に作曲家のアゴスティーノ・アガッツァーリ(1578-1640)が、そのような改革的要求を『教皇マルチェルスのミサ』で例示したことによる。」 (DeepLによる機械翻訳、筆者による編集)
"Giovanni Pierluigi da Palestrina">"Bedeutung", Wikipedia-Deutsch,  https://de.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Pierluigi_da_Palestrina, Abruf 23.03.21

と書いてあります。

Agazzariによる1609年の著作をオンラインでは見つけられなかったため確認が取れませんが、ドイツで一番信頼されている音楽百科事典の Die Musik in Geschichte und Gegenwart (以下MGGと略す) には、それは1607年だったと記されています。

"Ein wirkungsgeschichtlich folgenreiches Phänomen, das noch im 20. Jahrhundert, in H. Pfitzners ›Musikalischer Legende‹ Palestrina einen späten künstlerischen Ausdruck fand, ist die im frühen 17. Jahrhundert aufgekommene Stilisierung Palestrinas zum ›Retter‹ der Kirchenmusik. A.  Agazzari, von 1602 bis 1606 Kapellmeister am römischen Collegium Germanicum-Hungaricum, rechtfertigt am Ende seines 1607 erschienenen Generalbasstraktats Del sonare sopra’l basso den Basso continuo an erster Stelle wegen des durch ihn ermöglichten modernen Stils des »cantar recitativo«. "
「パレストリーナを教会音楽の「救世主」として様式化することは、17世紀初頭に現れた歴史的に重要な現象であり、20世紀になってH.フィッツナーの「音楽伝説」パレストリーナで遅れて芸術的に表現されるようになった。1602年から1606年までローマ・コレギウム・ゲルマニカム・ハンガリカムのチャペルマスターを務めたA.アガッツァーリは、1607年に出版した通奏低音に関する論文『Del sonare sopra'l basso』の最後で通奏低音を正当化しているが、その理由はまず、通奏低音によって現代的なスタイルの「カンタール・レシタティーヴォ」が可能になったことにある。」(DeepLによる機械翻訳、筆者による編集)
"Palestrina, Giovanni Pierluigi da" >WÜRDIGUNG >Rezeption, https://www.mgg-online.com/article?id=mgg09770&v=1.4&rs=id-fe454f44-4a73-ba5f-7f5b-a5c044a96224&q=palestrina%20hugo%20, Abruf 26.03.21

該当する論文はオンラインで読めます。

"Del Sonare sopra'l basso con tutti li stromenti (Agazzari, Agostino)", IMSLP, https://imslp.org/wiki/Category:Agazzari%2C_Agostino, Abruf 26.03.21 

1609年の文献を目視で確認しない限りどちらが正しいのかは分かりませんが、引用が不明なWikipediaよりは校閲を経ているMGGの方が信頼性は高いと思われます。

2. さらにMGGは以下のように続けます。この項は3.と4.にも関連します。

"Dabei erwähnt er die Konfusion, die, mit Blick auf die zu erstrebende Verständlichkeit von Text und musikalischer Struktur, der alte polyphone Stil bewirkt habe und gelangt zu der Feststellung, »[…] che per questa cagione non fosse sbandita la Musica da S. Chiesa, da un Sommo Pontefice, se da Giovan Palestrino non fosse stato preso riparo, mostrando d’esser vitio, ed errore de’ componitori [!], e non della Musica; ed à confermatione di questo fece la Musica intitolata: MISSA PAPAE MARCELLI«."
その中で彼は、古いポリフォニックなスタイルが、目指すべきテキストや音楽の構造のわかりやすさに関して混乱を招いたことに触れた、「[...]この理由から、もしジョバン・パレストリーノが修復されなかったら、最高教皇によってこの音楽は聖なる教会から追放されていたこと、自分自身が悪徳であり、音楽ではなく作曲家の誤りであることを示したこと、そしてこれを確認するために、この音楽は『教皇マルチェルスのミサ』と題された。」(DeepLによる機械翻訳、筆者による編集)

すなわち、AgazzariがPalestrinaを「教会音楽の救世主」という固有名詞の一種のような表現を用いて評したわけではありません。筆者も先程出典を挙げた論文を確認しましたがそのような文字列はありませんでした。この点においてWikipediaドイツ語版 の表記は、よく読めば問題無いでしょう。

3. しかしWikipedia日本語版

「ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ」, Wikipedia (日本語), https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A, 2021年3月25日閲覧

では、冒頭に

「カトリックの宗教曲を多く残し『教会音楽の父』ともいわれる。」

と書いてあります。

当該記事ではかなり後半で

「19世紀には、ヴィクトル・ユーゴーや、ある種のロマン主義者、この時代の作家にはつきものの大げさな表現で、パレストリーナは、キリスト教音楽全体のとは言えなくても、カトリック音楽全体の父であると書いた。」

としています。出典は明らかではありません。

検索の末、ユーゴー(1802-1885)が彼の詩の中でパレストリーナを取り扱っているのは事実でした。

"Que la musique date du seizième siècle", Victor Hugo,Ⅲの1-2行目、

"Puissant Palestrina, vieux maître, vieux génie,
Je vous salue ici, père de l'harmonie, [...]"
https://lorexplor.istex.fr/Wicri/Musique/fr/index.php/Que_la_musique_date_du_seizi%C3%A8me_si%C3%A8cle_(Victor_Hugo), 26.03.21

しかしその箇所は逐語訳では「調和・ハーモニー(l'harmonie)の(de)父(père)」となります。他に出典が無い限りはユーゴーは「教会音楽の父」や「カトリック音楽全体の父」とは書いていないということになります。文学に詳しい方がいらっしゃったら是非指摘をお願い致します。...「ハーモニーの父」...素敵な表現ですね。

4. また、Wikipedia英語版では

"Much research on Palestrina was done in the 19th century by Giuseppe Baini, who published a monograph in 1828 which made Palestrina famous again and reinforced the already existing legend that he was the "Saviour of Church Music" during the reforms of the Council of Trent."
「パレストリーナに関する多くの研究は19世紀にジュゼッペ・バイニによって行われた。バイニは1828年にモノグラフを出版し、パレストリーナを再び有名にし、トレント公会議の改革の中で、パレストリーナが『教会音楽の救世主』であるという、すでに存在していた伝説を強化した。」(DeepLによる機械翻訳、筆者による編集)
"Giovanni Pierluigi da Palestrina", Wikipedia-English, https://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Pierluigi_da_Palestrina, access 26.03.21

とあります。これについて、上記1.で扱ったMGGの箇所の冒頭では

"Ein wirkungsgeschichtlich folgenreiches Phänomen, das noch im 20. Jahrhundert, in H. Pfitzners ›Musikalischer Legende‹ Palestrina einen späten künstlerischen Ausdruck fand, ist die im frühen 17. Jahrhundert aufgekommene Stilisierung Palestrinas zum ›Retter‹ der Kirchenmusik.
パレストリーナを教会音楽の「救世主」として様式化することは、17世紀初頭に現れた歴史的に重要な現象であり、20世紀になってH.フィッツナーの『音楽伝説』パレストリーナで遅れて芸術的に表現されるようになった。」(DeepLによる機械翻訳、筆者による編集)

とあります。言語を問わず、「パレストリーナが『教会音楽の救世主』であるという」といった、括弧で複数の名詞を括ったものを根拠なく用いる表現は、その「教会音楽の救世主」という異名が後世に起こった様式化の産物だということをあまり認知せずに行われたのではないかと推測します。ここで言う様式化の現象の意味は「聖人化」に近いだろうと想像します。

そういうことだと仮定して、ではWikipedia日本語版の「教会音楽の父」という表現はどこから来たのでしょうか。

日・独のいくつかの文献から、「Allgemeine musikalische Zeitung (1814)(一般訳:「一般音楽新聞」)に掲載された E.T.A. ホフマン(1776-1822)によるエッセイ Alte und neue Kirchenmusik(拙訳:「新旧の教会音楽」)にPalestrinaを "Vater der Kirchenmusik"(「教会音楽の父」) と称える箇所がある」という情報が得られたので新聞内を検索してみましたが、"Vater der Kirchenmusik" という文字列は見られません。似たような字面で Altvater(祖先、古老などの意味)という単語はありましたがパレストリーナとは関係のない箇所で使用されています。パレストリーナに関してはいわゆるトレント公会議にまつわる、事実ではないとされる伝説と彼を最高に褒めそやす文章があるだけです。

Allgemeine musikalische Zeitung (1814), BSB (Bayerische Staats Bibliothek), https://opacplus.bsb-muenchen.de/Vta2/bsb10527964/bsb:4114436?page=317, Abruf 26.03.21
またはhttp://www.zeno.org/Literatur/M/Hoffmann,+E.+T.+A./Erz%C3%A4hlungen,+M%C3%A4rchen+und+Schriften/Die+Serapionsbr%C3%BCder/Zweiter+Band/Vierter+Abschnitt/%5BAlte+und+neue+Kirchenmusik%5D, Abruf 26.03.21

父であれ救世主であれ、「パレストリーナ=『教会音楽のOO』」という一対一型の表現は一体いつから始まったのでしょうか。あちこち検索して読んでみましたが、結局筆者には「教会音楽の父」や「教会音楽の救世主」を一つの固有名詞として最初に用いた文献を特定できませんでした。

筆者はいつの頃からか「教会音楽の父」をパレストリーナの異名として認識していたので、事実として日本語版Wikipediaの「『教会音楽の父』ともいわれる。」は間違いではありません。ただしそう言われるようになった背景の提示や出典の明記は足りていないように思われます。事の顛末の現実は、「歌詞の聞き取りづらさなどを非難されたポリフォニー音楽を彼は自身の作曲法をもってその存在を救った」という作り話があり、その話に題をつけたりパレストリーナを形容したりするなら教会音楽の救世主のようだというところで、それが後世には評価や表現が変えられ、いつの間にかパレストリーナを紹介するひとつのキャッチコピーとして「教会音楽の父」が日本で定着したというところでしょうか。

出典内の内容を全て調べ上げたわけではないので、何も強くは言えません。あやふやな点が多くWikipedia を編集できるほどの立場にありません。

調べてみて大変勉強になりました。詳しい方には是非ご指摘をよろしくお願い致します。

以上です。

※記事の無断転載を固く禁じます。

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