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我慢・辛抱・自粛・禁止

我慢と辛抱は似てるけど違うっていう話をなんかで読んで、調べたら磯野貴理子さんが石倉三郎さんの本を読んで思った事だった。

「遅く起きた朝は」っていう番組で話してたんだけど、「そういえばこれ日曜の朝にやっててリビングに行くと親父が見てたなー」とか急に思い出した。

まぁそんなことはどうでもよくて、我慢と辛抱。

この違いに関しては既に色んなとこに書いてあったから書かない。

でも我慢も辛抱も「いつまで」とか「どれくらい」っていうぼんやりした期間でもあれば、気持ちとして少し前向きに捉えられるんだよなーと思う。

諸外国のように外出禁止!にしない日本国民の民度はすごい!みたいな記事も読んだし、それこそカズこと三浦知良さんが寄稿してた内容は自分も心にくるものがあったけど、じゃあその気持ちが今も持続できてるかというとそうでも無い。

やっぱり飲みに行きたいし、みんなでワイワイしたいし、筋トレいきたいし。
自宅筋トレしてるけど、やっぱり物足りないし。

我慢と辛抱をどれくらいすればいいのか?っていう際限を「自粛」っていう各個人の裁量に任せてる部分があるから、「自分はこれだけ我慢してるのに他の人は!」みたいな感情を持つ人も増えてきてるし、禁止じゃなくて自粛だから個人の裁量に委ねられてるはずなのに日本の「同調圧力」が見えない鎖みたいに我慢している人も我慢してない人にも変な圧力になっているんだと思う。

わかってるよ、不要不急の外出以外は駄目なのは。

でも、外出禁止と外出自粛は我慢と辛抱の関係みたいに同じで似てるようで違う。

もしかしたら人によっては行きつけの店に飲みに行くことでそのお店が潰れないようにっていうある意味「必要な外出」なのかもしれないし。

だからいっその事、海外みたいに禁止令を出してくれないかな。

禁止したなら公然と批判することも可能だし、それを罰することもできる。
別に誰かを批判したり罰したりしたいわけじゃ無いよ。

ただ外出禁止にして行動を限定的にすることで、その範疇でいかに上手くやるかっていうのが見せ所だと思うんだ。

みんなが同じ条件のもとで「いかに乗り切るか」っていう一つの目的に対して色んな知恵を絞って、ある意味纏まることができると思うんだ。

現に進んでなかったWEB会議とかドンドン色んな会社に導入されてるし、働き方改革が号令された時より改革がなされてると思うしね。

ウチの会社もこれを機に色々と変えていこうと思います。
いや思うだけじゃなくてしっかりと行動に移していきます。

緊急事態宣言が出て、どんどん閉塞感が蔓延していく中で、自分はその瞬間何を思ってたのか、備忘録的な散文だけどここに残しておきたいと思います。


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