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答えは我にあり

この言葉はここ3年くらい、コロナ禍でこれからについてぼんやりと不安や過去の自分について考えてた中で、自分に問いかけてきた、いや、ある種のたどり着いた言葉。
わたしは誰なんだ?今まで夢中に仕事して、上に行くことばかり考えてたけど、、、
で?って自分に問いかけることが多くなってた。山を登る時は、登頂には何かがあって報われる、きっととてつもない達成感があって、自分の人生チェックメイトじゃん、って思ってた。
だけど、働きすぎて、自分が誰からわからなくなって、必死に忙しい中、お稽古ごともやって、それが趣味超えて義務に感じて苦しくなってやめたりで、結果、で?私、誰?飽きっぽいただの人?

山に登るの?
もう既に八合目にきてる。夢に見た、トップの座は、あと少し、苦しくても、我慢すれば、そこに辿り着く。

で?、私登頂したら、何をやりたいんだ?って思い始めてきた。

人生はブラックスワン、予想だにしない出来事が起きて、それは読みが甘かったんじゃなくて、必然のように当然にそこに横たわってる。

コロナ禍で人生の価値観が変わった瞬間だ。会社でバリキャリ、たくさんの友達に囲まれて、おしゃれして高いレストランで楽しんだり、スニーカー履く人生なんて、私の辞書にはなかった。
推し活?アニメ?そんな暇なら、ビジネス書を読むか美容に時間をかけていた。

ところが、出歩くことが出来なくなって、人と会う、週末の予定を入れる、とか全部出来なくなって、実はやたらほっとした自分がいた。

リッチでおしゃれなレストランで楽しむ自分、バリキャリ貫いて頂点に就こうと決めた自分、あー?だーれも見てないんだよ、勝手に苦しんで、楽しい、やりがいがあるって思って、大切な何かから目を逸らしてきた私。やめていいんだ。もうやめたいんだ。

ご飯は納豆、味噌汁、漬物、お酒もやめた。そんな簡素な毎日を過ごしてきたら、上に登って何したかっんだか全く思い出せないの。このStruggleはなんだったんだ?

いま、その夢が叶う結構いいとこまできてるのに、あー嫌だ嫌だ。もうこれ以上勘弁して。常に数字に追われて、世界時間に合わせて、盆暮正月なんてまともに休めたこともない。
部下に強くモノを言うもんなら、パワハラ。
その立場に相応しいかっこいい私になるために、威厳を出そうとしてみたり、
正直、私誰なんよ?って。

だけど、この道しか知らないから、何をしたいんだか、何ができるんだか、わからない。
苦しくても、今のままでいれば、お給料と社会的保証を得られて、不安は全くないはず。

でも、贅沢に暮らしてきたけどさ、それを得るために私が失ったものたち。失った人たち。傷つけて傷つけられて。悔しくて孤独感でひとり泣いた。

人生のハーフターンをこれまたやるの?

って話。

ワクワク×美×学び=スローエイジングを目指し、仲間を探しています。特におひとりさまが時々被る不都合な出来事にも注目。自らの体験を記事にしようと思っています。ご興味を持ってサポートをいただければありがたいです!どうぞよろしくお願いいたします。