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最初と最後、乾杯の音

人生の”最初の一杯”を憶えていますか?
自分のグラスにお酒を注ぎ、誰かと乾杯した。そんな一杯です。

親のビールを少しだけ舐めるようにもらうのではなく、
「この一杯は飲み干してもいいし、残してもいい。どちらにしても君のものだ」
とでも言うかのように丁寧に注がれた杯による、乾杯。

僕の、はじめての乾杯の時、あの「カーン!」という景気のいい音は鳴りませんでした。

🍻

実家を離れた初めての春。
京都・北白川通り沿いのワンルーム 5.5畳に父がやってきた。まもなく始まる大学生活で一人暮らしを始めるための引っ越し作業を手伝いにきてくれたのだ。

引っ越し作業をほとんど終えたところで、夕食を兼ねて界隈を散歩した。

実家以外で暮らすことも、一人暮らしも僕にとっては初めてだった。観光都市の中にあって観光客がそれほど訪れない、京都の日常的な風景。ここが、自分にとってもいつか日常になるのかと想像すると、不思議な高揚感があった。

街の光が遠くに見える下り坂の銀閣寺道では、桜のつぼみが今か今かと待ち構えていた。

🥃

散歩を終えて、ベッドとこたつテーブルしかない小さな部屋に戻ったあと、帰り道で買ったコンビニ袋から父が何かをおもむろに取り出した。

ジャック・ダニエル」だった。

1本のビールも飲み干したことがなかった僕の前に毅然と立つ、黒のラベルに白字という過剰なハードボイルドを纏った、深い琥珀色の液体。

水も炭酸も氷も買わず、プラスチックのコップだけを父は買ってきた。そうやって飲むのがジャック・ダニエルに対する礼儀とでも言うように。

2つのプラスチックのコップに注がれたジャック・ダニエル。
父は、「おつかれ」も「おめでとう」も言わず、「じゃ」とだけ言いコップを掲げた。初めての乾杯は「ペコッ」という音がした。

初めてのウィスキーは、うがい薬のようにクサく、からく、熱かった。喉から胃へ、飲み干すときにはヤツが今どこにいるかを熱さで分かる。
紳士的な衣装に身を包んだギャング。それが、僕の Jack に対する第一印象だった。

父と二人きりになったのはいつぶりだろう。妹が産まれる時、母が入院して家を空けていた小学生以来かもしれない。あまりに久しぶりで不慣れなシチュエーションと、 Jack の魔力によって、僕は何を話していいのか分からなかった。

「俺が学生の頃、ジャック・ダニエルは高くてねぇ、なかなか飲めなかったんだ」
父はそんなことを言いながら、一人でジャックダニエルを半分ほど飲み干し、半分ほど残った瓶をうちに残して帰っていった。

あの残った半分がなければ、僕はウィスキーを飲む人間にはならなかったかもしれない。

🍷

それから、15年。仕事の出張で、父が上京してきた。
珍しい機会なので、四谷・荒木町にあるいきつけのバーへ招待した。ふたりきりで呑むのは、あの京都・北白川での5.5畳のワンルーム以来。もちろん「バー」という場所 でふたりで飲むのも初めてだ。

僕が15年で覚えてきたウィスキー を片っ端から、父に勧める。
「このシェリーの樽で寝かされたウィスキーがね、甘くて美味しいんだ」
もう僕にとってウィスキーは「からい酒」ではなくなっていた。

バーボン、スコッチ、ブレンデッド、モルト。何を飲んでも父は一言、
「うん。うまいね」
と言いグラスを空にした。もちろんすべてストレートで。
北白川のワンルームで乾杯した時よりも、僕はいくらか饒舌になり、父はいくらか言葉少なくなっていた。

僕の手持ちのウィスキー・リストがなくなった時、それなりの量を飲んだ父がおもむろに口を開き、マスターに尋ねた。

「マスター、ウォッカあるかな?」

「飲み方は?」
「ストレートで」
「「えっ?」」
父がウォッカを飲んでいるのを見るのもまた、初めてだった。
いつも冷静なマスターも少し驚いていた。でも、なぜか嬉しそうだった。

どれだけ親しい人でも、家族でも、親子でも、だれかのことを完全に知ることはできないのだ。だからこそ、僕たちは乾杯する。

ショットグラフ2つで交わす乾杯は、カーンでも、ペコッでもなく、
カンッ!」だった。

この日が父とバーという場所で乾杯した初めての日であり、そして、最後の日になった。

その直後、父に病が見つかり2年ほどで逝ってしまった。
満開を迎えた桜の惜しまず散らす桜吹雪が必要以上に美しい、4月の上旬だった。原因? もちろん、酒と煙草に決まっている。

でも、本人は亡くなる前日まで、わりと飄々ととしながら、
「やりたいことは全部やらせてもらったし、後悔がないんだよな」
と笑っていた。

今、ふと疑問に思う。
なぜジャック・ダニエルであり、ウォッカだったのだろう。いつも家では日本酒しか飲まなかったのに。

🍸

酒の味は変わる、面白いくらいはっきりと。
でも、酒の立場からすれば衣装替えくらいはしても、基本的には変わらない味を守り続けているはずだ。何十年も、あるいは世紀を越えて。

やっぱり、変わり続けているのは僕たちなのだろう。

今、僕の前にあるジャック・ダニエルが、北白川のジャック・ダニエルの味とまったく違うように、父が「憧れの酒」と呼んだ1970年代のジャック・ダニエルと、「息子の下宿先で飲むジャック・ダニエル」の味はおそらく違ったのだろう。それを確かめたかったのかもしれない。

「なぜ、ジャック・ダニエルだったの?」
その答えは、永遠に聞けないままになってしまった。
しかし、聞いたところで、笑って頭をかきながら、
「え。そんなことあったっけ? 忘れてしもうた」
と言うだろうけれども。

今年のお盆は帰れないけれども、来年もお盆は来る。
焦らず、また乾杯しよう。

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