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ごちゃごちゃした人生

おそらくだけど、自分の書く文章は読みにくい。理路整然としてなくて、話があっちこっち飛び回って、結局言いたいこともよく分からない。「文章の書き方」的なセオリーをことごとく無視した悪文である。
 何度か直そうとしたことがある。文章術の本をいくつかざっと読んで、下書きの骨格みたいなものを作ろうとした。そこで挫折した。たぶん、自分が理路整然とした文章を書くには相当な努力をしなければならない。それが無理だった。

文章は、そのまま思考の流れを表している。注意があっちこっち逸れまくり、何を考えていたのかも忘れてしまう。それでも書こうとするのは、何かを伝えたいというよりは、書くことで色々なものを発散しているからである。つまり、排泄。うんこ。
 そうやって自己を納得させながらも、たまに綺麗な文章に憧れてしんどくなる。

これは別に文章に限った話ではない。もう何度も表明しているけれど、自分は片付けができない。一週間ぶりに掃除と片付けをしたら机とカーテンの間に蜘蛛の巣が張っていてびっくりした。蜘蛛の巣に気づかないほど、部屋に物が多いのだ。
 片付けをするといつも結局、ものを「地点Aから地点Bへ移動」させただけで終わってしまう。片付けるためには収納スペースを確保しつつ掃除する必要があり、そのためには一度どこかに置く必要がある。という流れを無限に繰り返してしまい、結局移動だけになるのだ。
 掃除のセオリーとして、物の定位置を決めることがあるけれど、自分の場合、色々なものが常に仮置きされている。道具を取り出して、それを完全に使い終わるまではつい机の上に置いておきたくなってしまう。そうやって机上に物が積み上がっていくのだ。たぶん、一度片付けると次に取り出すのが面倒になるとか、作業していたことを忘れてしまうのが嫌なのだと思う。
 よくよく考えてみると、「完全に使い終わる」というのがどんな状態なのか分からない。そんな瞬間は本当にやってくるのだろうか? 

 きっと、「区切り」をつけるのが非常に苦手なのだ。

何かを中断するには、形だけでも「仮の終わり」を設定しなければならない。それがないと、永遠に宙ぶらりんな保留状態である。物を捨てられないのは、その判断をずっと保留しているからだ。
 終わらせる、ということが自分にとっては結構なストレスなのかもしれない。「まだできるかもしれない」「何か変わるかもしれない」といった淡い期待を残しておきたくなる。でも、悲しいことに人生は無限ではない。

知人に断捨離を勧められた。何かを変えたいのならば、断捨離してみればいいんじゃないか、と。確かkonmariもそんなことを書いていた。
 捨てた先にある何かに憧れて、断捨離にチャレンジしたことがある。結局、途中で保留してしまった(それでも、やる前は小学校時代のテストまで取っているという酷い状態だった)。

誰に対してなのか分からないけれど言い訳をさせてもらうと、きっとこれは脳の構造上の問題が関わっているのではないだろうか。だいぶ前に知能テストか何かをやった際、「複数の物事を一度に処理するのが苦手」という結果が出たことがある。物に溢れたごちゃごちゃの部屋を目の前にして起きるのがまさにそれである。頭が「わーーーっ」てなって、イライラして、モヤモヤして、ぷつんと思考が止まってしまう。
 そう考えるとなおさら断捨離しなくてはならない気がするのだが、たぶんこれはもう自分一人の手には負えないのだ。

物を捨てないでおくことに効能があるとすれば、それは可能性を留めておくということだ。10年ものの積読を手放せないのは、「これを読めばきっと何かが変わるかもしれない」という期待だし、弾かない楽器を手放せないのは、「もしかしたら自分にも才能が芽生えるかもしれない」という期待である。いい加減そんな夢から醒めないと人生が始まらないような気もするが、これもなかなか難しい。きっと幼少期の孤独とか人間関係とか思考の特性とか色んなことが複雑に絡み合っているのだ。
そうやってまた、話を複雑にしてしまっている。

一人暮らしをすれば何か変わるかと思ったが、結局たくさんの物を持って引っ越して、またそのまま持って帰ってくるだけだった。本当にもう、ちょっとやそっとじゃ変われないんだなと思った。
 よくよく考えると、「断捨離をしなけりゃ変われない」と「変わるためには断捨離を始めなきゃいけない」というのは永遠にぐるぐる回っていて、一体どこから入り込めばいいのかが分からない。やっぱり自分一人では無理なのかもしれない。あるいは、人生を激変させてしまうぐらいショックな出来事に遭遇するか。
どう足掻いても他人頼みである。


いい加減この文章もごちゃごちゃしてきたので、そろそろ終わりを作らなければならない。こういうときにパッといいオチをつけられればいいのだけれど、ここまでだらだら書いてきた全てが「そりゃ無理だ」と物語っているので、潔く諦めようと思う。
 きっとこれからも何度もこの話題を蒸し返していくことだろうし、「変わりたい! 断捨離しなきゃ」という価値観に惹かれる時期と、「決断とか、そもそも意志なんて存在しない! 抱えたままで生きていこう」的な心地よい言葉に慰められる時期を繰り返していくんだろうなあ。

昔々、あるところに読書ばかりしている若者がおりました。彼は自分の居場所の無さを嘆き、毎日のように家を出ては図書館に向かいます。そうして1日1日をやり過ごしているのです。 ある日、彼が座って読書している向かいに、一人の老人がやってきました。老人は彼の手にした本をチラッと見て、そのま