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「聞いてもらう」

東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』を読んでいる。最近本を読んでいても文章が頭に入ってこず、目線が滑ってしまうことが多いので、この本も本当に一部しか読めていないと思うけれど、色々と考えることがあったのでメモしておきたい。


ありがちな自己啓発本みたいなタイトルをしているが、単に「技術」というところに留まらず、話を「聞く」ことの本質部分を深掘りしている良書である。
まず「聴く」より「聞く」の方が大切なんじゃね? という問題提起がいい。言われてみれば確かに、日常的に行われる「聞く」が不全になってしまうと「聴く」もできなくなるのだから、前者はとても大切だ。

では「聞いてもらう技術」とは何なのか。著者によると、我々が人の話を聞けなくなるのは、人に話を聞いてもらえていないからだという。
我々は話を聞いてもらうことで正気を保っている部分があって、それがないと余裕がなくなり、人の話なんて聞いていられなくなるということだ。

心にとって真の痛みは、世界に誰も自分のことをわかってくれる人がいないことです。

東畑開人『聞く技術 聞いてもらう技術』ちくま新書 P70


ということで、本書では「小手先編」と称して13の「聞いてもらう技術」が紹介されている。例えば「1 隣の席に座ろう」とか「7 悪口を言ってみよう」とか。さらに緊急事態を想定した「9 ワケありげな顔をしよう」とか「13 遅刻して、締切を破ろう」というものまである。
「聞いてもらう技術」という響きは斬新だが、ここで挙げられているのは私たちが日頃何気なくやっているようなことばかりだ。でも改めて明文化されると面白い。

ぶっちゃけ、「ねえちょっと聞いて」が言えるならば、それでいいのだ。そういう関係性ができあがっている人は相当幸せだと思う。
でも自分みたいに、「いきなり話し始めるのは迷惑じゃないかな」とか考えてしまうコミュ障には、このテクニック集は大変助かる。世の「聞く技術本」は、「お前のことは話すな。黙って聴け」と言ってくるが、聴くためには「聞いてもらう」がないといけないのだ。そう考えるとちょっと気が楽になる。

自分が申し訳なく思ってしまうのは、話を聞いてもらってばかりで全然相手の話を聞けていないときだけれど、それが回り回って誰か別の人の話を聞くための布石になっていると思えば、これでもいいのかな、と思える。もちろん相手との信頼関係があればこそなのだけれど。

ちなみに自分が割とよく使っている「聞いてもらう技術」は、

  • ため息をつく

  • 机などにもたれかかる

  • パタンと本を閉じる

などである。
うーん、すごい構ってちゃん感が…‥。

やっぱり、できることならば「ちょっと聞いて」がすんなり言えるようになればなあと思う。

昔々、あるところに読書ばかりしている若者がおりました。彼は自分の居場所の無さを嘆き、毎日のように家を出ては図書館に向かいます。そうして1日1日をやり過ごしているのです。 ある日、彼が座って読書している向かいに、一人の老人がやってきました。老人は彼の手にした本をチラッと見て、そのま