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時には静かに暮らしたい

海から吹いてくる風があまりにも冷たい。動き始めるとだんだん暑くなってくるけれど、休むとまた寒くなる。温度調節が難しい。
いつもは賑やかな人たちも、今日は口を閉ざして黙々としている。
「こんな冷やいと話しとおなくなるわ」とは、とあるおばちゃんの談。確かに、北上するほど方言も短くなってゆく。寒さは人を寡黙にするのだろうか。



そして自分も、最近人と話すのがめちゃくちゃに億劫になっているのを感じる。ただしこれは寒いからではなくて、疲れているからだろう。

もし疲れたときに人の本性的な振る舞いが現れるのだとしたら、普段の自分は相当無理をして他人とコミュニケーションを図ろうとしているということになる。場の雰囲気をなるべく壊したくない、嫌われたくないというような動機が根本にあって、それに動かされて話に加わったり話題を提供したりしている。だから疲れが溜まると何も喋らなくなるし、話の輪から遠ざかりたくなるし、挨拶やちょっとした声かけもすごく小さくなる。多分周りから見ると感じは悪くなっている。それぐらい余裕がないのかもしれない。


光の当たり具合で濃くなったり薄くなったりする海が綺麗


気遣いに、もうちょっと中間地点があればいいのかなと思う。自然な振る舞いとしての気遣い。無理をしなくてもいい気遣い(どこからが無理をしているのか、というのもなかなか分かりにくいが)。
無理して物を贈与したり、知らない話題に反応しようとしたり、答えにくい質問に迷ったりするのは、多分ちょっと無理している。そういう場面を少しずつ回避していけたらいいな。

まあ、まずは疲れを癒すことが最優先である。


オンライン読書会参加記

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基本的には日記ですが、たまに深いことを書いたり書かなかったりします。分量で著者の疲労度が測れます。

少し遠くに行ってみよう。人生が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。あるいは変わったとしても、気づかないかもしれない。だから、何か…

昔々、あるところに読書ばかりしている若者がおりました。彼は自分の居場所の無さを嘆き、毎日のように家を出ては図書館に向かいます。そうして1日1日をやり過ごしているのです。 ある日、彼が座って読書している向かいに、一人の老人がやってきました。老人は彼の手にした本をチラッと見て、そのま