見出し画像

いつか、あの子みたいに

8月10日(月) 晴れ

瑞希ちゃんへ


すっかり夏らしい気候になりましたね。
花火の音、私のところも聞こえました。ベランダへ飛び出したのですが1回ドンッと聞こえたきりだったので聞き間違いかな?とすぐ部屋に戻ってしまいました。

本当は出来ないことが増えるほど練習しなくちゃいけないのに嫌になってしまう気持ち、とてもよく分かります。出来るぞ、できるぞ!というときは調子よく頑張れるんですけどね。
小さな瑞希ちゃんがステージで演奏する姿が浮かぶようでした。憧れの曲を弾いて満足できた、素敵な幕の閉じ方だと思います。

バレエを習っている私にも瑞希ちゃんにとっての「エリーゼのために」のような踊りがあります。小学生のとき、バレエ教室のひとつ上の先輩が踊っていたジゼルのヴァリエーション。可憐で愛らしくて繊細で、オーガンジーのスカートが翻るたびに私は夢見心地になりました。あんな風に踊れたらどんなにいいだろうと今でも思います。久しく思い出していなかった景色を瑞希ちゃんの日記で思い出しました。大切なことを思い出させてくれてありがとう!
忘れられない舞台や憧れの人、ということなので今回はバレエの話をさせてもらいますね。
長くなってしまったので、時間があるときに読んでもらえればと思います。

上記の先輩も憧れの人なのですが、もう一人とても近くにいてとても遠くに感じる憧れの人がいます。それはいつも一緒に練習してきた友人です。
数年前の発表会のこと。私と彼女は小品集でそれぞれソロで踊らせてもらえることになりました。長年休まずレッスンにきているからと先生が計らってくれたのですが、ほかの出演者はコンクール経験者ばかり。練習がはじまってすぐに自分がいかに場違いかを思い知りました。1度注意されたことは次までに直すのが当たり前。そんなこと私には到底できませんでした。ちがう、そうじゃない、何度言ったら分かるの…… 頭ではわかっていても体は思った通りに動かない。それは友人も同じようでした。
でも彼女は本当に真面目でした。レッスン中はずっと教室の隅で、レッスン後はいつも残って、誰より沢山練習していました。汗と一緒に涙を拭っているのを見たのも1度や2度ではありません。
そうして迎えた本番。私は彼女の踊りを楽屋のモニターで見守っていました。ずっと注意されていた脚を上げる角度も、練習していたターンも成功。このまま終わるかと思った最後の最後、彼女はピルエットの数を間違えてしまいました。けれど十分な出来に見えました。だって振付を知っている人じゃなければ気が付かないような失敗だったんです。スピーカーからは沢山の拍手の音が聞こえました。
瑞希ちゃん、想像できますか?
数分後、楽屋に飛び込んできた彼女は蹲って泣き出したんです。大泣きする彼女に私も、周りの誰も声をかけることが出来ませんでした。みんな、彼女がどれだけ真剣に練習していたか知っていました。本気でやって失敗して本気で泣いてる。だから何も言えませんでした。
そんな彼女に対して私がどうだったかといえば、緊張で足が震えて練習よりよほどひどい出来だったのに悔しいなんて思いませんでした。「やっと終わった」とただそのことに安堵していました。そんな自分が情けなくて恥ずかしくて、私は私に失望しました。
彼女ほど真剣に向き合っていなかった。きっと頭のどこかで「これくらい練習していれば誰も私を責めないだろう」と計算してた。だから彼女みたいに泣けなかった。
妥協しないで本気で理想の踊りをしようとした彼女は本当に恰好いい、私の憧れです。

バレエ以外にも絵を描いたり小説を書いたり、いろいろ手を出している私ですが、実は特別気に入っている作品はありません。どれも「ここはもっと頑張れたよね?サボったでしょ?」と後悔するものばかりです。なかなか彼女のようにはなれません。いつか、これは!と言える何かがつくりたいです。

瑞希ちゃんは撮った写真や書いた小説で気に入っている作品はありますか?とくに頑張った作品とか…… 

急に暑くなったので熱中症にはくれぐれもお気を付けくださいね。

それでは、また

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?