何歳頃から自分の事を覚えていますか?
壁に飾ってあるのは自分の2歳の頃の写真、父が撮影してくれたのだそうです。他の写真などは裏面に日時が書かれたり、写真アルバムに日時が記入されておりますが、これは裏面にも日時は書かれておりません。
皆さんは何歳頃から自分の行動なりの事を覚えていますか?
見た風景、聞いた音、香りなどは案外覚えているのかもしれませんが、自身の行動はいかがでしょう。
私は3歳頃でしょうか。アルバムや親の話から記憶をすり合わせているかもしれませんが。
この写真も、父が生前「このカメラで撮影した」とレトロなフィルムカメラは見せてもらいましたが、2歳頃の写真、写真自体の事までは詳しく聞くのを忘れ記憶には残ってもいません。
私の幼少時代は、隣近所には年齢が近い子供達がたくさんおり、保育園の頃から小学生時代までご近所さん達と集団で遊んでいた思い出を覚えています。昭和のちびまる子ちゃん時代です。
母の話すには、私はご近所で遊んでいる時も、保育園でも何処でも泣き虫で、保育園の門の前では芋虫のように動かなくなり泣き叫び登園拒否を起こしていたようです。
笑ってしまう程の人見知りの泣き虫、人見知りは今でも直せぬ人格形成となりました。
また、5歳頃の手術時に涙と汗で耳に水がはいり痛さで大泣きし、結果、以後はさらにすぐに泣くのいくじなしの子供に育ってしまったようです。
しかし、当の本人である私の記憶は、3歳頃の楽しくご近所さん達と夜遅くまで遊んでいた事や、リズム室で積木に夢中になっていた事、苦痛だったはずの入院の前におもちゃ屋さんで父にピエロのびっくり箱を買って嬉しかった事など、楽しかった事しか保育園時代は覚えていません。
本人は悲しかった事とかつらかった事以上に楽しかった思い出が多かったのでしょう。よほどの事がない平凡な幼少時代は、そのようなものなのでしょうか。皆さんはどうですか?
今は画像もプロパティで何時何の機種で撮影したのか残せる時代になりました。クラウドに保存しておけば数十年後も見ることができますし、動画としても残しておけます。ただ、そのクラウドが何処まで内容を保証してくれるかはわかりませんが。
いろいろな人がいて、社会的生活をしていて、私を含めた人類の現在の営みも、それが数百年後の人達に何か役に立つ情報になればいいなあと、そんな事をいつも考えています。
人の成長話を聞くのはとても好きです。面白いでしょう?
ご近所のおばあちゃん達の昔話もとても面白く、また、おばあちゃん達自身も当時の話を楽しく話してくださります。
歴史を聞き、想像する、なんて楽しい事でしょう。
ちなみに、学生時代は歴史の授業は教科書を開くのもおっくうな苦手教科でした。でも、遠いところの話ではなく、現在が成り立つ原因や過程の一つに過去があり、その過去の判断がもし異なっていたら現在は成り立っていなかっただろうと思うとワクワク高揚感を感じませんか?
逆に、例えば自分などがもしも珍しい病気になったとしても、それも一つのエビデンスとして蓄積されれば、未来の誰かが同じ病気であった時に役立つ情報として生かされるなら嬉しい話ではないでしょうか?
人間の記憶って曖昧です。それが幼少の頃などとなれば余計に記憶など消えてしまうもの。1年前の事でも忘れてしまう目まぐるしい程に環境も技術も変わっていく世の中です。
壁に飾ってある写真を見て、この時私は何を考えていたのかな、と。
人間は何処まで物理的に自身で記憶をよみがえらせる事ができるものだろうかとか。
そんな事を考えると面白いものです。
私だけでなく、身近な人、身近な物など忠実に正確に残していきたいなあと、改めて思いました2020年8月22日日曜日夜17時40分。お天気は20分前まで稲妻が光っていたテレビでコナンが流れている日。私は記事を書いていました。
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