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それぞれの、愛のカタチ

MISIAの『愛のカタチ』をご存じだろうか。
当時はやっていたドラマの主題歌で、夫と一緒に見て、いい曲だね、この曲がいいよね、と結婚パーティーの退場曲に決めた。
そんなわたしたちの愛のカタチ……

気付き

同じ職場で出逢った彼。
職場では『彼の推しはわたし』と、誰もが知っていた。

9年が過ぎようとしていた。
彼がわたしに気持ちがあると知ってから。
といっても、単なる『誰がいいと聞かれたら答える程度』の軽いものだと思っている。
それまでに、彼と仕事上の会話はあっても、特別デートを重ねるなんてこともないし、プライベートの話もしたことはほぼない。その程度だ。
会社に行けば見かける、同僚でしかなかった。

彼を含めた10人前後で野球観戦に行った。
いつもと変わらない感覚でしかなかった。
なのに、野球が終わってみんなでご飯に行き、彼を含めたみんなとの会話の中でふと感じたことだった。
『9年も想い続けられるってすごいな』

わたしにも推していた有名人が何人かいる。
もちろん今でもそれぞれ好きは変わらない。ただ熱烈に推していた期間は、どの人も5年ほどだ。
そこと比べるのも違うだろうけど、わたしの経験上、お付き合いは1年未満ばかりだったし、片想いだって5年未満だ。

『9年も想い続けられるってすごいな』は本当にそう感じていたし、その『想う』ことは人それぞれ、広さや深さは違う。
こんなに思い続けられる人とだったらうまく愛を育めるのかもしれない、そう感じた。

はじまり

あれよあれよという間に、お付き合いがはじまり、結婚に至った。
野球観戦から入籍までなんと約7か月だ!!!

その約7か月の間に重ねたデートは、車で約1時間の道のりを毎回迎えに来てくれた。もちろん帰りも送ってくれた。
今でも、タイミングにもよるが、最寄り駅から徒歩15分ほどの家までの距離なのに迎えに来てくれる。
なんだかお姫様みたいだ、そうわたしは思ってしまう。
結婚して5年たった今も、当時と変わらないのは本当にありがたい。

わたしの性格的には、面倒くさがりなのもあって、わたしが夫を迎えに行くことはなかった。しかし、なにか気持ちが変わったのだろうか。最近は夫のお迎えに行ったりするのは夫の影響なのかもしれない。

結婚生活

早々に結婚に至ったこともあり、あれ???と思う部分はお互いにあるのかもしれない。世間一般的によく言う、価値観の不一致なんてあって当たり前だ。
常にテレビをつけている夫。テレビは見ないなら消したい(音があるのが嫌)わたし。アニメを見たいわたし。子どもみたいだと批判する夫。
明かりがついたままでも寝れる夫。明かりがついていると寝れないわたし。
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わたしは音がある中での生活を好まないようだ。そこに集中してしまい、本当に集中したい方に注力できないから。対して、夫はテレビがついている中で、携帯を見ながら音もちゃんと拾っている。聖徳太子のようだ(笑)
子どもの頃の育ってきた環境も影響しているのだと感じる。

夫の実家に行けば、政治の話や社会の話が多い。
そして、どの部屋の明かりもついたままなことが多い。
自営業をしていることもあり、常に誰かがいたおうちだったと思われる。

わたしの実家では政治の話なんて出たことがあっただろうか……。
兄弟姉妹はいても、わたしは歳が離れた姉兄だったので、どちらかといえば一人っ子のように育ったと思う。かぎっ子(死語??)で、明るい家に帰るというより、帰って自分が明かりを点すことが多かった。
寂しさもあったかもだが、自由に育ったと思う。

育った環境も親も違う当たり前。
そのひとりひとりの人間が持っている愛のカタチなんてすぐにピタッとはまることの方が難しい。
だけど、そのカタチがいつのまにか居心地いいものに変わっている。
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MISIAのアイノカタチで始めたのに、締めくくりはスピッツの曲がぴったり来てる。今朝もなぜか気付いたらふわっと口ずさんでいた。
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さびしくなかった 君に会うまでは
ひとりで食事するときも ひとりで灯り消す時も
いつか失う日が来るのだとしても
優しくなる きらめいて見苦しく
生まれ変わる これほどまで容易く
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