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自分軸を考える

ブログにて自分軸をテーマに書きまして。

まとめると他人や社会から求められるがままに決断すんな、って話。
嫌われる勇気で語られるようなテーマに似ているだろうか。

自分軸を考える上で、もう少し深掘りができるかな?
というわけでタイピングし始めた次第です。

まず自分軸があることが大切という前提で話を進めます。
自らの考えで行動して同調圧力に屈しない。
それが生きていく上で大切だよね、という前提。

さて。
自分軸で生きるために必要なことについて。
ここにテーマに絞った時に思うのが"自らの考え"について自問しないといけないのでは?というポイント。
要は今までの経験の中で多かれ少なかれ他人軸や社会軸を取り入れて生きて来たでしょ?と。
現時点で他人の意見に従わず、社会に迎合していないとしても。だ。

ちょっと表現を変えます。
今まで他人軸で生きてきた人が、一瞬で自分軸人間にはなれないかもね?という話です。
どうだろう?伝わるかしら?

他人軸で生きてきた時の常識と、自分軸で生きる時の常識が違う。
そう、違うんです。

もちろん。
自分軸で生きるというのは自分の意志一つで決められるもの。

「相手軸で生きない!同調圧力に屈しない!」

と決意した瞬間、立ち所に現れる世界観です。

ただ、自分軸で生きることには筋力のような側面もある。
少しずつ自分軸で生きる意識を高めていくような要素がある。

例えば。
それほど重大ではないような局面で、無意識に物事を選択する時。
なんとなく他人軸や社会軸で決めてしまうことがある。
そう。なんとな〜く。ね。

しかも自分では気づかない。
でも自分軸歴10年の人がそのシーンを目の当たりにしたら、

(今のは他人軸で考えとんな…)

なんて感じで看破されちゃう。
だから意思決定をする時、ちゃんと立ち止まれるかで自分軸の意識が試される。

(これ、もしかして相手軸で生きてた時の癖じゃね?)

と気付けるかどうかが試される。
もちろん癖というのはなかなか簡単に抜けるものではない。
ごく当たり前に自動で動く思考に気付くのは容易ではない。
だから一朝一夕で自分軸で生きるようになれるわけではない。
と、思う。

だから自分軸をしっかり持った状態で体幹を鍛える必要がある。
鍛えながら他人軸や社会軸の贅肉を削ぎ落としていく必要がある。

新たな価値観を取り入れながら、自分にとって本当に必要なものだけを残していく。
筋肉質な自分軸を作っていく。

人の体は新陳代謝を繰り返して常に同じ状態ではない。
でも、人の心はあまり新陳代謝していない。
これは不自然なことだと思う。

新たに仕入れた知識。
新たに知り合った人。
新たに経験したこと。

これらを噛み締めて、血肉にして、余分な物は排泄する。
そちらの方が自然なことだと思う。

自分軸で生きるための知識。
他人軸に翻弄されない人間関係。
社会軸に惑わされない経験。

これらを求めて自分軸を構築していく。
そんな意識が必要だし、大切になるように感じている。

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