話すかどうかを決めるのは自分でいたい
「対話のためには心理的安全が大切」ときこえてくる。
そりゃあそうだ。
しかし、「安全」の捉え方は人によって違うのではないかとも思う。
自分にとって「安全」かどうかを感じるアンテナの感度をチューニングしながら慎重に、ここでは話しても大丈夫だろうかと恐る恐る話し始めてみると・・・
大丈夫かもしれないと話しを続けるとき
なんか雲行きがあやしくなってきたと感じて内容を選ぶとき
難しい(自分が傷つくかもしれない)と感じて止めるとき
体感的に心を守ろうとするが間に合わないときもある。
自信などない自分の「ダメ」なところを、他者の一方的な解釈で明らかにされるとき
「あなたのことを思って」という言葉が押しつけがましく聞こえるとき
他者がよかれと思っている解決策を提示されるとき
心に留めておきたいのは、
他者のかかわりに自分のアンテナが反応したら、まずは自分を守っていい。
それから、自分のペースで考えていい。
自分を大事にしながら自分を内省できるときがきっとある。
それには聴いてくれる他者が必要で、その他者は問いかけてくれる人だ。
解決策を提示する人ではない。
他者から示される一方的な「安全宣言」は要注意だ。
話すかどうかを決めるのは、自分でいたい。
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