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1ヵ月、瞑想の最後に「幸せとは」と問い続けると

朝、オンラインでヨガと瞑想。それが習慣になってくると、起きたら食べる、だった以前の習慣が信じがたくなってくる。習慣って、そういうものなのかな。

約30分のヨガと瞑想は、こんな感じだ。まず、その日の身体の状態をチェックする。街をパトロールするお巡りさんみたいに、意識で全身を巡回する。それから、眠っている間に留まったエネルギーを、ヨガのポーズで全身に巡らせていく。過去や未来やどこでもない場所を漂いつづける心が、呼吸とともに「いまここ」にある身体とつながる。そうして、静かに目を閉じて、座っていく。

その流れに寄り添う、的確で丁寧なインストラクションに、身体と心を委ねていく。

9月は、毎回その最後に「自分にとって幸せとは」という問いかけが加わった。初めて聞いたとき、とても素敵な試みだと思った。

ただ、いまここにあるだけの心と身体に、そこにある意識の泉に、そっと小さな石を沈めるように問いかける。するとその石が奥の方に落ちていくのと反対に、何かがふわりと浮上する。「幸せとは」に対する、泉の声。心の声なのか、身体の声なのか、魂の声なのか、はたまた。

いずれにしてもそれは、頭で絞り出す答えとは違う、自分でも予測がつかないものだったりする。その時には、そんな驚きとともにリアルな感覚があるのに、さてと終わって、日常の生活に戻るとすぐに忘れてしまう。さっきまでくっきりと見ていたはずなのに、どうしても思い出せない夢みたいに。だから、覚えているうちに書き留めてみることにした。これらが、その一部。

・人と心が繋がっているという感覚
・何が起こるか分からないことにワクワクできること
・まっさらな命であること
・美味しいという感覚を分け合っていること
・いま吹いている風に心地よさを感じていること
・美しいと感じていること
・必要とされていること
・過去と切り離された今があること
・ダメさを愛おしいと思えること
・一つ一つにゆったりと丁寧に向き合えていること
・「やりたい」という気持ちが内側に起こっていること
・自分を固有の存在として認められること
・無心で何かに真正面から対峙していること
・道を歩き続けていること、旅を続けていること

言葉よりも、映像や感覚として浮かび上がってくるので、そのままを書き留めるのはなかなか難しい。かといって写真では撮れないし、とりあえず言葉にしておくしかない。

これらが何なのか、まだよくわからない。けれど、その瞬間、幸せという感覚とともにそこにあったもの。頭(思考)が先頭に立っている日常の時間では出会えないもの。そんな気がしている。

毎回、今日は何が浮上してくるのか、少し楽しみだった。誰も知らない森に入って、その奥に密やかにある泉に、そっと石を沈める。そこに響く、微かな音。その音に耳を澄ませる。

10月は、「自分にとって大切なもの」、を問い続けるらしい。泉は、何と答えるのだろう。

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※10月は、1週間無料体験ができるみたいです。申込みは9月30日まで。

※私は、最初のうち5:20リアルタイム参加していましたが、いつからか諦めて、後から送られてくる動画を見ながら、が新習慣になっています。


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