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なぜ、いま俳句か。~俳句で「今」を見つめ、「今」を残す。という活動~

外出自粛になり、緊急事態宣言が出され、「動けない」という気分が続いたあと、今から2週間くらい前。はっと思い当たった。私たちは、いま歴史的な出来事の真っ只中にいて、今しかできないことがきっとある。いま動かないと。そこからバタバタと準備をして、今日に至った。

俳句はリモートに強い

「今」を刻む方法はたくさんあるけれど、俳句はその選れたものの一つだと感じていた。一つの理由は、リモートに強いこと。

コロナの影響で多くのものごとがオンライン化の壁をせっせと乗り越える中、俳句はそもそも「文字情報」なので、リモート(メール、郵便)との相性が良く、大きな打撃を受けにくかった。もちろん、俳句は「座の文学」と呼ばれ、主たる活動の場は「句会」というリアルな集まりなので、その本質的価値を保ったままどうオンライン化するかは、いまだ試行錯誤しているけれど。少なくとも「俳句」そのものは、オンラインに乗りやすい。そして、紙と鉛筆があれば、後は何も要らない。(実際には歳時記や辞書は使うけれど)

そんなこんなで、オンラインの俳句活動(ワークショップ)を始めることにした。

俳句に託した3つのコンセプト

この活動には3つの意味がある。

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(1)自分の「今」を見つめる
俳句を作るときは、自分の「今」を見つめ、深く向き合う。平時でもマインドフルネスが注目される昨今、この異常事態にあって、その大切さは増しているように思う。自分の気持ち、感情、感覚、見ているもの、聞いているもの、触れているもの、そこから受け取っているもの。それらに意識を向ける。そして、俳句はそれで終わらず、それを取り出して、客観視することができる。

(2)「今」を伝え合う
俳句は、優れたコミュニケーションツールという側面も持っている。17文字で取り出されたそれは、その文字以上の世界を伝えることができる。いま、同じコロナの時代にあって、人はそれぞれ違う「今」を生きている。希望を抱いている人、困惑している人、絶望している人、諦めている人。様々な「今」を伝え合い、その多様性を知ること。それが、積み重なって、広がって、思いやりのある社会に繋がっていくのではと思っている。

(3)「今」を未来に残す
俳句は、記念写真のように、場合によってはそれ以上に、「今」を鮮やかに残すことができる。過去の自分の俳句から、その時ありありと思い起こすことができる。だから、未来の自分にとって大事な記録になる。さらに、大げさかもしれないけれど、歴史に「コロナ時代を生きた人たち」と記録されるかもしれない私たちの「今」は、戦時下に生きた人たちの記録が貴重であるのと同じように、未来にとって大事な資産になるかもしれない。

そしてワークショップを開催しました

そんなことを考えて、いろいろな人たちと俳句の力を借りて「今」を見つめ、「今」を残したい。そのための俳句づくりワークショップを始めることにして、その第1回を開催しました。

これから少しずつ回を重ね、「コロナ時代を生きる俳句100」みたいに、いろいろな人の視線で「今」が刻み込まれた作品集を残せたら素敵だな、と思っています。

ということで、まずは第一歩。どこまで遠くに行かれるか。

今日はその第1回に参加くださった5人の素敵な作品を紹介しようと思ったのですが、前段が長くなってしまったので次回にします。

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