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海洋冒険家 白石康次郎さんの言葉に、俳句の心を学ぶ

俳句を通じて学ぶことの一つに、自然との向き合い方がある。自然と向き合う。言うのは簡単だけれども、実践するのは難しい。そもそも、どういうことなのか、分かっているようで分かっていない。

そんなことをつらつら考えていると、白石康次郎さんがテレビ番組で語られていた言葉が耳に入ってきた。ああ、こういうことなのかな、と。海洋冒険家が大海原と向き合う姿は、俳人に求められる姿に似ているのかもしれない、と。

俳人 大峯あきらさんの言葉:ものが語りかけてくる

所属する俳句同人誌『晨』の中で、代表 中村雅樹氏が、初代代表 大峯あきら氏のこんな言葉を引用していた。

ふつうの人が先入観なしに花や山を見ておったら物の方から語りかけて呼びかけてくれる。そこに桜が咲いているということは桜が自分にものを言っているということです。蝶々が飛んでいることは蝶が僕にものを言っている。秋風が吹いているということは、秋風がものを言っている。それが「乾坤(けんこん)の変」だと芭蕉は言うのです。それにこたえることが詩なのだね。【中略】「ものが言っていると思う」じゃだめなんだ。「ものが言っているように見えるなあ」と、そんな程度じゃだめ。本当に言っているんです。本当に言っているんですよ世界は。ものが本当に語っていることが、世界があるということなんですよ。そこが大事。 『晨』第223号 p69

大峯あきら先生は、俳人であると同時に、宗教哲学者であり、僧侶でもあった。それを知ると、この言葉の重さと深さが増してくる。自然の声を聴く、というのはここまでのことを言うのかと、ずしりと心に残った。

白石康次郎さんの言葉:あるがままの海を見る

今年2月、最も過酷と言われるヨットレース「ヴァンデ・グローブ」でアジア人初の完走を果たした、白石康次郎さん。出演されていたテレビ番組を何気なく観ていると、彼が語る言葉が耳に入った。そして、大峯あきらさんの言葉と重なった。

26歳の時に、史上最年少で単独無寄港世界一周を達成するが、その前に2度の失敗を経験。そこで何が変ったのか。そこで語られていたことを、過去のインタビューから引用する。

いくら努力をしたとしても、世界一周をしたいのは「私」であって、「海」ではないんですよ。要するに、海は変わらない。私が死のうが、世界一周しようが。だから、自分の都合を海に持ち込んでも、到底思い通りにはいかないはずなんですよね。そのことを、実感として理解することができました。ですから、アプローチを変えていったんですよね。船とコミュニケーションを取り、人間とコミュニケーションを取り…。すると、うまく乗り越えて行けるようになったんですよ。 (私の道しるべ(日経BizGate)

二度の挑戦に失敗し、本当にくやしかった。でも投げ出したくはなかった。そんな時、私を立ち上がらせたのは、お世話になった造船所の親方の言葉で
した。「お前はヨットのお尻をたたきながら走っているよな」と。その時、ハッとしたのです。海は人間が作ったものではない、自然が生み出したものなのだと。私はこれまで、ありのままの海と向き合っていなかったのだということに気付かされました。
 嵐や波を怖がっているのも、世界一周をしたいのも自分自身。海にはそん
なことは関係ありません。これまでの自分をすべて捨てた時、初めて海のあ
りのままの姿を見ることができた。
そして三度目の正直で、世界最年少で世
界一周を達成することができました。(JICA’s World No.53

「海は世界一周したいなんて思ってない。ぼくが世界一周したいだけだ」。そんなあたりまえの事実にあらためて気づいたんですよね。わはは!
海には楽観も悲観もない。希望もないけど、絶望もないの。ただあるがままの世界が広がるだけなのに、ぼくが”世界一周”という私情をもち込んだんですよね。こうあってほしい、ああでいてくれなければなどと押し付ければ、やっつけられるのはあたりまえ。そうではなくて、嵐が来ればセールを縮めればいいし、凪が来れば風が吹くまで待てばいい、それだけ。以来だんだんとね、本当の海とつきあいができるようになったかな。「こうして立ち直りました」なんて話ではなくてね、鼻血も出ないほどやられたら、自分を捨てることができました、そういう話です。(NEWYORKER MAGAZINE vol.21

海の声に耳を傾ける。海と会話をする。そうして、数ヵ月にもわたって、海の上でたった一人でも孤独ではない時間を過ごされてきたんだろうなと想像する。

俳人と冒険家

2人の言葉に共通する、自然との、世界との向き合い方。ものが語りかけてくる。海が語りかけてくる。その声を聴く。その境地に辿りつくには、まだまだ長い道のりだけれども。一歩ずつ、近づいていきたい。

たとえば白石康次郎さんが俳句を作ったら、いったいどんなものになるんだろう。想像するとわくわくする。

ちなみに、「康次郎」ってイメージ通りのお名前だなあと思っていたら、2000年に、鉱次郎から康次郎に改名されたそう(Wikipedia)。俳人も、脱皮するように名前を変えていく。この辺りもなんだか、俳人みたいだなと思ってしまう。


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