俳句を通じて学ぶことの一つに、自然との向き合い方がある。自然と向き合う。言うのは簡単だけれども、実践するのは難しい。そもそも、どういうことなのか、分かっているようで分かっていない。
そんなことをつらつら考えていると、白石康次郎さんがテレビ番組で語られていた言葉が耳に入ってきた。ああ、こういうことなのかな、と。海洋冒険家が大海原と向き合う姿は、俳人に求められる姿に似ているのかもしれない、と。
俳人 大峯あきらさんの言葉:ものが語りかけてくる
所属する俳句同人誌『晨』の中で、代表 中村雅樹氏が、初代代表 大峯あきら氏のこんな言葉を引用していた。
大峯あきら先生は、俳人であると同時に、宗教哲学者であり、僧侶でもあった。それを知ると、この言葉の重さと深さが増してくる。自然の声を聴く、というのはここまでのことを言うのかと、ずしりと心に残った。
白石康次郎さんの言葉:あるがままの海を見る
今年2月、最も過酷と言われるヨットレース「ヴァンデ・グローブ」でアジア人初の完走を果たした、白石康次郎さん。出演されていたテレビ番組を何気なく観ていると、彼が語る言葉が耳に入った。そして、大峯あきらさんの言葉と重なった。
26歳の時に、史上最年少で単独無寄港世界一周を達成するが、その前に2度の失敗を経験。そこで何が変ったのか。そこで語られていたことを、過去のインタビューから引用する。
海の声に耳を傾ける。海と会話をする。そうして、数ヵ月にもわたって、海の上でたった一人でも孤独ではない時間を過ごされてきたんだろうなと想像する。
俳人と冒険家
2人の言葉に共通する、自然との、世界との向き合い方。ものが語りかけてくる。海が語りかけてくる。その声を聴く。その境地に辿りつくには、まだまだ長い道のりだけれども。一歩ずつ、近づいていきたい。
たとえば白石康次郎さんが俳句を作ったら、いったいどんなものになるんだろう。想像するとわくわくする。
ちなみに、「康次郎」ってイメージ通りのお名前だなあと思っていたら、2000年に、鉱次郎から康次郎に改名されたそう(Wikipedia)。俳人も、脱皮するように名前を変えていく。この辺りもなんだか、俳人みたいだなと思ってしまう。