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この時期の月は、1日だけの名前を持つ

昨日(9/21)は、満月と中秋の名月が重なって、タイムラインは月の写真であふれた。近くの公園まで月見の散歩に出てみると、結構人が出ていて、月を眺めるでもなくおしゃべりをしていた。そんな人たちを、月が見ていた。

さて、この一夜のためだけに、いくつもの季語がある。古来から、日本人がいかに、この時期の月を愛でてきたかを感じさせる。

月を指すのが、名月(望月、満月、十五夜、芋名月etc)。この月が出ている夜を指すのが、良夜(望の夜)。雲に隠れていれば、無月。雨が降ったら雨月(雨の月、月の雨)。

そして、この日をピークに、前後1日ごとに名前を変えていく。

前日(9/20)は、待宵(小望月)。見た目はほぼ満月だっただけれども、やはりどこか欠ける。しかし「いよいよ明日」という静かな高揚感もある。

そして翌日の今日(9/22)は、十六夜(既望)。既にピークが過ぎ、月の出もわずかに遅くなって、しっとりとした寂しさが混ざる。次の満月には、一番遠い。タイムラインからは、月の写真が消えた。

明日(9/23)は、立待月。明後日(9/24)は、居待月。その翌日(9/25)は寝待月で、さらに翌日(9/26)は更待月

月そのものの姿よりも、月の出を待つ人の姿に投影させているのが面白い。立って月を待っていた人が、座って待つようになり、寝て待つようになり、それでも足りず、さらに待つ。なんだか漫画的だ。

そんなに月の出が待ち遠しいのか?と思うけれども。でも、この一連の季語を通じて、古の人たちと少し繋がれる感じもする。1日ごとに名前をつけ、親の帰りを待つ子供のように、徐々に出が遅くなる月を恋しがる。そして、この時期を境に、夜が昼より長くなり、一日の中心が昼から夜へと移行する。そんな自然の営みの中に生きていた人たちの姿を、心持を、近くに感じる。

明日は、立待月。古の人の心に重ねて、立ちながら月を待つ。そして、まだ使ったことのない、明日だけの季語を使ってみる。

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