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俳句の難題

俳句誌『晨』の創始者で、哲学者であり宗教学者であり住職でもあった、故大峯あきらさんの動画に魅せられている。

詩人の言葉、僧侶の言葉、哲学者の言葉が織りなす世界は、とても豊かで深い。直接お話を聞けなかったのが残念でならないけれど、まるでそこに居るかのような動画が残されていることは、本当に有難い。

その中で、こんなことをおっしゃっていた。

自分が見てもいないものは、作れないでしょ。嘘じゃないですか、そんなもの。感じていないじゃないですか。テレビや映像を見て作るなんてけしからんことや。自分が経験しなかったことは詠えない。でっち上げられないでしょ。

まったくその通りである。実景を前にして、それをよく見て、見えないものまで見て、本当に感じたことを素直に詠む。それが俳句の基本であり、神髄。(それを若い哲学青年時代に高浜虚子から言われたが反発した、という話も前編でされていて面白かった)

しかし、その『晨』の今回の課題は「蓮根掘る」。

見たこともないし、やったこともない。googleで画像検索する。泥水に、人々が温泉なみにどっぷりと浸かって、蓮根のポコポコとした連なりを引き上げて盛り上がっている。記憶を辿ってみるが、やはり経験したことがない。

そもそも蓮根が、こんなに長かったとは(考えてみれば、根なのだから当たり前か)。掘り出すときは、どんな感触なんだろう。それにしても、あの静かな、神々しくもある蓮の花の根がこんなだなんて、なんだか似つかわしくない。

と、画像を見て想像する。「けしからん」ことをしている。

難題は多い。どうなることやら。



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