固定観念の排除ってZ世代っぽい
今日は、メルボルンに来て2回目の映画館へ行ったのですが、オーストラリアにわざわざ来て、劇場版コナン(日本語音声、英語字幕)を見ました笑
中国出身の留学生仲間である友人が、コナンを見たいと誘ってくれたのですが、彼女が私と同じ大学から来てるboyに興味があるということで、彼も誘って映画館へ向かいました💘(恋のキューピッド的な存在のことをWingmanと言うらしい。)(I'm a wingman:)))
コナンって、こんなに面白い映画だったんですね、日本で滅多に見ないので、知らなかったです。
なんだかオーストラリアに来てから、どんどん日本愛が増してます。海外に行くと、外国と日本のことを自然と比較することが多くなるので、海外経験がある人の方が、むしろ日本の良いところに気づきやすいとも言われますが、私も例に漏れず日本の良いところを沢山見つけてきました。
だけど、今日は逆に、こちらに来てから気づいた、私の今までの無意識についてお話しします。
いつものように、仲の良いオージー友達Jake(仮名)と図書館で勉強をしていた時、私の充電用コンセントが延長コードから外れなくなってしまっていたので、私より力が強いだろうと思ってJakeにコンセントを抜くように頼みました。
私が2日間、何回挑戦しても抜けなかったコンセントが一瞬で抜けたので、感心して、”Strong boy!!” とリアクションしました。
すると彼は、”Not becase I’m a boy, because I’m Jake(仮名).” (男の子だからじゃないよ、僕だからだよ)と言ったのです。
私はハッとさせられました。
日本にいたら、「流石、やっぱ男だね」と男らしさをあえて褒めることによって、満更でもない顔を見るのが鉄板の流れだったのですが、この私のリアクションが、気づかぬうちに「男は強くあるべき」、という固定観念を生み出していることに気がついたのです。
とはいえ私も日本人ですので(固定観念満載の文)、ある程度のステレオタイプは何かを議論をする上で役に立ったり、主語を大きくするのが許される一定のラインというのがあると思っています。
しかしやっぱり、主語を必要以上に大きくするよりも、個人に対して何かを言った方が、それがポジティブだろうがネガティブだろうが、より相手に響く言葉になるのだろうと考えさせられました。
そして自分がもし固定観念や偏見を含むことを発言するのであれば、少なくとも自分の中で、その事実に気づきながら発言したいし、するべきだなとも思います。
日本は、住む民族の種類が少ないことからも、多様性への理解や個人の尊重に対する意識は、他国と比べて比較的低いのだろうなと感じています。それを踏まえると、今後様々なバックグラウンドを持つ人々と話す際、彼らが自分よりも個に対する受容があるということを念頭に置くことが、より良い発言に繋がると思うのです。
明日から他の人について考える際、何かの括りのうちの1人((例)オーストラリア人)としてではなく、個人((例)Jake)として見ることを、意識してみようと思います。
(ちなみに私の友人Chinese girlは、私の同期へのアピールを諦めました)(何と悲しい)(せめて仲良い友達になってね)(そしたら帰国後も私が2人を誘える)
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