スペシャリストになれない私の目指す島
まだ武器さえ手に入れていないことに気がついた夜
第2子の産後、大学の友人達と久しぶりに会った。
その夜に話したことは数年経った今も忘れることはない。
「いよいよ30代。仕事はどう?」
子供達を寝かしつけた後、学生の頃数えきれない程過ごしたように、お酒を片手に現状や想い、未来の野望など語っていった。
産後、友人と夜中まで語るなんて何年ぶりだろうか。
10人程いるメンバーは、性別も住んでる場所も職種も働き方も子どもの有無もバラバラ。
共通点といえば「何かしらいつも楽しいことを探してる」くらいしかないかもしれない。
仕事の話になり友人の1人がこう言った。
「これから世の中を面白くしていける中核になるね。具体的にどうやっていこうと思ってる?」
その言葉を聞いた瞬間、私は「どきり」とした。
なぜかというと、友人には見えている目的の島までの航路が私には見えていない。
スタート時点にさえ立てていないということに気づいてしまったから。
その時の私はというと「自分にしかない武器を見つけて、訓練してスキルを磨いてきた。これからどうやって社会の中で冒険をしていこうか?」と胸を弾ませ、装備もバッチリの友人達の隣で、あれでもないこれでもないと自分の武器を試着している状態だったのだ。
私は正直に小さな声で伝えた
「私は、多分、まだその地点に立ててない」
多分「これが私の得意、生きる道」と学生の頃からきらりと光る短剣を持っている友人からしたら不思議でしょうがなかっただろう。
その時の友人達とのギャップに愕然としてなんともいえない焦りを感じたのは言うまでもなかった。
憧れと手に入れられないもの
私には長年憧れ、そしてどうしても近づけずに苦しんでいたものがある。
それは「スペシャリストであること」
幼少期偉人伝や発明のひみつ等の学習漫画を見るのが好きだった。
そこには物心ついたころから何かに強く興味をもち、当たり前のようにその分野を進路に選び、学び、世の中にどう貢献していくのか?自分の使命は何なのか?という目的に向かって進んでいく様子が描かれていた。
そこに描かれている人たちと同じように自分の人生も進んでいくのかな。楽しみだな。当たり前のようにそんな思いを胸に抱いていた。
「あれか、これか」でなく「あれも、これも」
肝心の私自身はというと、小学生・中学生・高校生になっても、運動も美術も音楽も読書も料理や科学もだいたい好き。
もちろんそこに濃淡はある。
数学は問題傾向を掴む為の反復練習につまづいて苦手意識をずっと抱えたまま。
英語は幼少期の両親の教育のおかげで少し得意意識を持てたが、兄弟の中で唯一英語を使わない仕事についていて中途半端なスキルだ。
反対に何がなんでもこれをやりたい。
これで私は生きていきたい!と強烈なものに出会ったことはなかった。
それよりも常に全体のバランスを楽しみ、世の中を形づくっている様々な要素を行き来することの方が興味があった。
部活動も集団球技・個人競技・表現活動と3年毎に新しいものにチャレンジする。部活動は全て卒業まで続けたので幸い継続力はあるかもしれない。
高校の頃の座右の銘は「やるっきゃない」である。(お恥ずかしい)
アルバイトもサークル活動の為、毎週何曜日、と決められたスケジュールが組みづらく、短期アルバイトで20種類以上の仕事を経験した。
毎回新たな勤務地・新たなメンバーで新たな仕事を覚えてやる。新しいことを覚えるのは大変だったが、それよりも新鮮で刺激的だった。
大学でも一つの専門分野の研究をするのではなく、様々な学問を学びそれぞれをツールとして関連付けて物事に対してアプローチしていくという複合的な考え方を学ぶ学部だった。
いつも色んなものをちょっとずつ。
興味が移りかわりやすく、その時の直感に従い、興味の濃淡によってぐるぐる色んなところをまわっている。
少しずつ移り、蜜を吸って知的好奇心を満たす。派生した興味に蝶々のようにひらひら移っていく。
超絶理系(超のつく理系男子)の夫に笑いながらこう言われたことがある。
「ほんとにあんは、
『あれか、これか』じゃなくて『あれも、これも』の人だね。」
ほんとうに、キルケゴールさんもびっくりである。
人生において人間は「あれか、これか」の一つを選ぶ必要があるのであり、美的生活に対してそれに矛盾する倫理的生活を選ぶことが主張される。
スペシャリストでなければいけないという呪縛
そんな移り気な私はこんな言葉にいつも気持ちを引っ張られた。
あれこれ興味が移る人は器用貧乏だ。
スペシャリストであればあるほどその人の発言に説得力がある。
長年の軌跡にスポットライトを当て、一つの事を諦めずにやり続けることが成功への一番の道だ。
その言葉で直感でやりたいことに取り組んでいた腰はどんどん重くなり、年齢を重ねるにつれ、結婚の為地方に引越して知り合いのいない環境におかれ、身動きが取れなくなってしまった。
産後転職活動を考えた時も、私には語れるほどの専門分野としての経験がない。長年経験がある分野の接客・コンサルスキルも資格などの目に見えるものに落とし込むことが出来ない。と途方にくれていた。
自分の歩んできた10年以上のキャリアを可視化できないことに不安を隠せない。
丸腰でコンパスの照準をあてる航海に出た
幸い、コロナ禍で自分と向き合う時間で、私は自分自身の特性を無理に幻想に近づけなくてもいいという考えを手に入れた。
世の中には同じような特性を持っている人も多くいて、それぞれ自分にあった働き方を見つけている、もしくは現在進行形でひらひらと行き来し理想の働き方をしているということを知ったことが大きい。
昨年末SNSで自分のやりたいことに向けて3か月伴走してもらうというサービスを目にした。本職がコロナの影響で業務が減ってしまった今、この貴重なチャンスを逃したくない!と気づいたら応募していた。
もしかしたら数年前に旅のスタート地点につけてもいなかった自分と変わっていないかもしれない。
しかし、あれこれ自分に合う武器を着せ替えするのはやめたい。
舵をきって航路を進んでみることにした。
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