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人を「あるがままに見る」には?

噂の彼女へのイメージは、本物ですか?



こんにちは、小島です!


先日、
大谷選手の新妻がお披露目された!

ということで
日本中が大騒ぎになりましたね。

お相手はこの人だろう・・・
という憶測から始まり、

唐突に写真が公開され、

身長が何センチで、
どこの学校を出てといった
追加情報が足される。



本当に勝手な話ですが、

その女性のイメージが
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
各国民の頭のなかに出来上がっていく。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



もちろん、
私も「どんな人だろう?」
って興味があって、

あれこれ記事を読みましたが、

ふと我に返り、
これって勝手なイメージだよねって。



分かった気になっているだけで・・・。






そう、私たちは
ふだんの出会いでも、

少ない情報で
あれこれイメージを膨らませて、

「きっとこんな人だろう」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
と妄想ごっこをしています。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




そして時には、
この妄想が暴走して、

分かり合えなくなってしまう。




・・・




というわけで今日は、

人を「あるがままに見る」
という仮想体験へご案内します。



つまるところ、

勝手に決めつけてばかりいると、
相手の本当のことが見えなくなるんですよ。




「「「




ということで、まずは

ある作家さんが書いたエッセイを
ご紹介しますね。



あなたはナスを
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あるがままに見ていますか?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


ええ、

あの《ナス》です。

ある朝、一仕事を終えて
やれやれとお茶を飲んでいた。



・・・



ぼんやりあたりを
眺めていたら、

むこうのほうに、

なにかキラキラ光るものがある。


(なんだろう。あそこでキラキラ
 ひかっているのはなんだろう?)




焦点のあわない目を、
そこに向けているうちに、

はっと我に返って見つめなおした。



(ナスじゃないか!
 あんなキレイな、つやつやした姿で・・・)



驚いた。

ナスを、生まれて初めてみたら、
こんな感じにみえるんじゃなかろうか。



自分がマッサラの目を
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
もらったようである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




驚いたまま、その目でみまわすと、
まわりのものが皆、

はじめて出会うものたちのように
目に映る。




普段なら、
ナスを一瞥(いちべつ)した瞬間に、

「名前はナス。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 植物。野菜。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ゆうべ畑からもいできた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 きょうの味噌汁の実」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
なんて、

名付けし、分別し、
意味づける操作が心の中で
行われるだろうが、



その日はぼんやりしていたおかげで、

名も意味もつけない風景に
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
出会えたのかもしれない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




それは、
わくわくするような体験で、
しばらくその感じを楽しんだが、



残念ながらまもなく
「いつもの自分」にもどり、

不思議な気配は消えてしまった。


 

(「こころはナニで出来ている?」工藤直子著)


私たちはこんなふうに、
先入観を持って
人や物事を見ています。


しかも、そのことに
まったく気づいていません。





はじめて会った人とかにも、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
少ない情報と過去の体験データから、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「あの人は〇〇な人だ」と決めつける。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




たとえば、
その決めつけのイメージが良ければ、
好ましい期待を抱けど、

その期待が満たされなければ、

「ああ、こんな人だったのか・・・」
って、勝手にガッカリする。






また、

そのイメージが好ましくなければ
はなから、

その人のやること、なすことを
すべてを悪く受け取り、

怒ったり、不満に感じて、
その人との関係をこじらせてしまう。





仕事や恋愛、結婚生活、・・・
どんな出会いや関係性であれ、

「あの人は〇〇な人だ」
という勝手な決めつけは、

とても、とても、破壊的です。





「「「





あなたは赤ん坊や、
犬や猫に見つめられたことがありますか?




彼らは、
「あなたは〇〇な人だよね」
という決めつけをしません。



だから、自由を感じる。


私たちは無防備でいられて、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あるがままの自分でそこにいられます。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄





コミュニケーションにおいて、

目の前にいる人を
断片的な情報だけで見てしまうと、

相手の本当のことが
見えなくなってしまう。




男性か女性か、
出身地はどこかとか、

そうした情報は、
むろん大事ではあるけど、

あくまでも二次的なもの。




もっと大事なことは、
情報より深いところにあって、


それは決めつけず、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ニュートラルに対話することで、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
感知できます。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄






お互いに防衛を解き、
リラックスして、

心地よい時間を過ごせる。




それが婚活であれ、
仕事の取引であれ、

また、友達や家族との交流において、
どれだけ質の違いを生み出すでしょうか?






ちなみに、
先ほど紹介したナスの文章。


よろしければ
もう一度戻って、

《ナス》を《誰かの名前》に置き換えて
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
読んでみてください。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



人をあるがままに見るとは
こういうことか、

という仮想体験が
できるかもしれません。







人生で出会う人の数は、
3万人だと言われています。

その一人ひとりとの
コミュニケーションに

「決めつけない」
という習慣をもたらすだけで、

あなたが人生に引き寄せる
出来事はガラッと変わりますよ。



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