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極私的「追悼・龍村仁」

新年早々に訃報が飛び込んできた。龍村仁さん、2023年1月2日死去。82歳、老衰のためとのこと。一般的にそれは、あの「地球交響楽〜ガイヤシンフォニー〜」を監督した人の死として受け止められるだろう。ぼくに近い年代の人なら、矢沢永吉率いるキャロルのドキュメンタリー映画を撮った人、それが原因でNHKを解雇された人という受け止め方をするかもしれない。でもぼくにとっては、青春時代の恩人であり、その出会いがなければまったく違う人生を歩んでいただろうという人の死である。

龍村さんに出会ったのは、1974年。まさにNHKを解雇された直後で、これからその無効を訴えた裁判が始まろうというタイミングだった。ぼくは上智大学新聞学科の学生で、教室でマスコミ論を学ぶより、まさにいまメディアの現場で起こっていることを知るべきだと、仲間と共に自主講座で龍村さんを講師に呼んだのだった。

それがきっかけで学生時代から社会人デビューしたあたりまでの数年間、龍村さんには毎週のように会い、ついには仕事でもご一緒する仲になった。龍村さんは、正義感と好奇心だけが空回りしていたような青二才のぼくを、分け隔てなく友人や仲間に紹介してくださった。日本はもとより、世界で吹き荒れた学生運動の熱気がまだ残っていた時代。というより、その熱がマスコミ関係者に伝播して、メディアも変わっていかなければならないという空気があった時代に、当時のアウトサイダー的な表現者たちによって日本ジャーナリストクラブが結成された。そして、その中心メンバーだった龍村さんを通して、ばばこういち・田原総一郎・鈴木志朗康・戸井十月・針生一郎らを知った。青山一丁目にあった日本ジャーナリストクラブの事務所にたむろし、大人たちの議論の場に居合わせ、あえて死語で表現するなら、左翼系文化人たちの空気に思いっきり染まる日々を過ごした。結局ぼくは、就活に失敗し、そのことを龍村さんに伝え、「いまぼくが仕事をしている会社の社長を紹介するよ」の言葉のままに、1ヶ月後には卒業というタイミングで某映像制作会社に潜り込んだのだった。

龍村さんが紹介してくれたTUC(テレビマンユニオンコマーシャル)という会社で、入社早々にADとして龍村さんの編集に立ち会ったことがある。『地球は音楽だ』という、世界で取材した音楽ドキュメンタリー番組だったが、龍村さんの担当はそのアメリカ編。ドキュメンタリーと言えばまだ35ミリか16ミリで撮影されていた時代に、コンパクトなビデオカメラで取材してビデオテープで編集するのが売りの番組だった。それにしても彼が編集にかける時間とエネルギーには心底驚かされた。龍村さんは、撮影と編集がビデオであることの意味を作品に取り込もうとしていたのだろうか?ビデオならではの長回しの撮影素材を、繋いだり、変えたり、また元に戻したり、幾晩も徹夜して徹底的に編集を繰り返した。編集の良し悪しを、セオリーやストーリーからではなく、生理として体感されるまで飽くこことなく検証したその姿は壮絶でさえあった。同じ映像を生業とするものとして、彼のその仕事ぶりは鮮明に記憶に残っている。

ぼくが龍村さんと密接に関わったのはそこまでである。それから10年ほどして、一度パリからの帰路、機上で遭遇したことがある。その後CMディレクターになったぼくは年に10回以上も海外にロケしていた時代で、龍村さんがガイヤシンフォニーの制作をスタートさせた頃、もしかしたら「交響曲第一番」(1992年)か「交響曲第2番」(1995年)の撮影を終えた帰路だったのかもしれない。龍村さんが機内でヨーロッパの若者を相手に熱く「立ち話」していた姿をよく覚えている。

あまり熱心なフォロワーではなかったけれど、もちろんガイヤシンフォニーは折に触れてみてきた。佐藤初音さんをはじめ、そこで知って大きな影響を受けた人も多い。地球自体をひとつの生命体と捉えて、環境との共生や生命の根源を問う、そのスケールの大きさや先進性で、GAIA SYMPHONYは歴史に残り再び脚光を浴びることになるだろう。しかも、それがどこの製作会社や配給会社にも紐づかない映画であることの意味を、再び問い直す日が来るような気がしている。

確かに第1番から9番までのGAIA SYMPHONYは壮大な映画であり、龍村仁はその監督である。しかし、龍村さんの訃報に接して「映画監督・龍村仁」という表現に触れる度に、ぼくはどうしても違和感を感じてしまう。彼は「映画監督」だったのだろうか?GAIA SYMPHONYは映画なのか?

GAIA SYMPHONYはある頃まで35ミリフィルムで撮影されていたと思う。その意味でも、サウンドや映像のクオリティーから考えてもまさしく「映画」なのだが、長時間の撮影が必須のドキュメンタリーで、カメラがビデオでもデジタルでもなかったことは、そこに何らかの意思があったはずである。そして公開(シェア)は、一般の劇場でもテレビでもネットでもなく、自主上映会という、徹底して共感ベースの市民運動である。龍村さんは、映画監督である以前に、撮影とメディアの革新の時代をもっとも誠実に生きようとした表現者、あるいは活動家ではなかったか。かつて番組編集でビデオと格闘したあの姿は、「技術革新」や「先進のメディア」などという浮ついた言説を一蹴するものだったのかもしれない。

彼が残したものは何か。彼がやろうとしたことは何だったか。「伝える」ことが究極まで即時的になったいま、しかも映像抜きに表現も情報も考えられないこの時代だからこそ、GAIA SYMPHONYはもう一度かけがえのない意味を持とうとしているように思えてくる。


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