恥を晒しながらでも、教えるべき?

専門家ではない人間が、何かの科目を教えるとき、すでにある教科書を使うことが重要だと感じています。素人が授業の前にあわてて自分で教材を作ろうとしても、うまく説明できません。例文も良いものが思い浮かびません。効果的な練習も作れません。

教科書は(おそらく)数年の時間をかけて、専門家が作成したものですから、学習の効果などもよく考えられて作られていると思います。

ですので、コロナウイルス感染拡大にともなう遠隔教育中には、すでにある教科書を使って、基本的には学生が自分で学び、私は、それをチェックして、フィードバックすることに徹しました。

そうして、ひととおり教科書は終えたのですが、文字や発音についての理解が学生に足りないことに、教科書をやりながら気づいていましたので、発音についての短期コースをしようと計画しました。ただ、このためにちょうどいい教材を見つけることができませんでした。

そこで、自分で内容を考え、スライドを作って、音声を吹き込む、ということをしたのですが、第1回目は出来が散々でした。あと3回しないといけないと思っているのですが、どうすれば学生に興味をもってもらえ、理解してもらえるのか、悩み中です。恥を忍んで、中途半端な内容でも学生に見てもらわないといけないんでしょうね。おそらく。沈黙していては、私が何を考えているか、学生にはまったく何も分からないですから。

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