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五十音表

ひらがな、カタカナには、五十音表がありますが、なぜこのような表があるのでしょうか? もし文字を覚えるだけであれば、いろは歌みたいな、語呂合わせで覚えてしまってもいいのではないでしょうか?

ここで何かの説を唱えようというわけでないので、何とも適当なのですが、日本語を教えてみて思ったのは、動詞の五段活用(日本語教育では、1グループの動詞とか、u-verbとかいうふうに言います)を覚えるときに、あいうえお順でかなを覚えている方が便利なのかな、ということです。

でも、ひとつ聞いた説では、この五十音表は、もともとはインドでサンスクリット語学を研究する中で作られたもの、ということで、そうなると、日本語を覚えるために作られたわけではないことになってしまいます。

日本のかなで不思議なのは、濁音です。なぜ、ひとつの文字に「゛」をつけるのでしょうか。別に、違う音なのだから、違う文字で表わしてもいいのに。ただ、ひとつ思ったことは、たとえば「やきざかな」ということばは、もし「ざ」でなく、たとえば「〠」でzaの音を表わしたとすれば、「やき〠かな」になってしまい、「さかな」と「〠かな」が同じ意味だということが、視覚的に非常に分かりにくいでしょう。そうならないために、清音と濁音のペアは、同じ文字をベースにして、濁音には「゛」をつけたのかな、と思いました。

うちの大学では週1回しか授業が無いので、学生がかなを覚えるのも大変です。それで、ほかの大学の日本語の先生にどうやってかなを学生は覚えるのですか、と聞きましたが、U国では、うちの大学以外は専門として日本語を教えているところが多く、そういうところでは、かなは最初にすぐ覚えるのが当たり前のようで、特に教授法は意識されていないようでした。かなが気合で覚えられないような学生は、日本語専攻では生きていけない、ということなんでしょうね。

でも、うちの学生は、第2外国語で、なんとなく興味を持って日本語を選択してくれたのですから、スパルタ式に、かなを覚えない人はもう勉強しなくていいです、とも言えません。それでかなの良い教え方がないのかな、と思いながら、教えていましたが、結局、私が良い教育法を見つける前に、学生のほうがかなを覚えてくれたので、自分としては未消化のままになってしまいました。

ただ、ひらがなを皆、先に覚えましたが、カタカナが覚えられません。2年生でも、多くの人は、アンチョコを見て、読んだり、書いたりしています。一説では、カタカナのほうが直線的で、最初、覚えやすいらしいのですが、なぜなんでしょう。たしかに、戦前の学校の国語教科書は、最初、カタカナですよね。日本語の教科書の最初のほうをカタカナにすればいいのかもしれませんが、それは軍国教育を思い起こすから避けられているのでしょうか。

かなについて、ほかにも考えれば、いろいろ出てきそうですが、どれひとつ、自分で答えを読者の皆さんに示せませんので、きょうはこのあたりにします。

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