見出し画像

第10話 潔癖症と心配性


中学になる頃まで、私は自分の部屋がなかった。姉にはあったので、羨ましかった。

私の居場所は二段ベットの上だった。なんでも置いたし、そこだけが自分にとって清潔な場所だった。新しいものを買った時、開けるのは必ずベットの上だった。大人になってもしばらくはそのクセが抜けなかったくらいだ。

ニオイにも敏感だった。私はじいちゃんのニオイが嫌いだった。だから、手を洗って二段ベットに向かう間に、廊下でじいちゃんとすれ違ったら、また手を洗いに行った。それだけではない、ちょっとでも自分が許せる場所以外を触ってしまった場合も、また手を洗いに戻った。

自分のルーティンが崩れるのが嫌だった。

目をギュッと力一杯瞑るのも癖だった。

今思えば、何かがストレスだったんだと思う、何かとは、両親、姉なのだが、その頃は分からなかった。

じいちゃんの孫は、私を含めて6人だ。ディズニーランドの近くに住む10歳くらい上の女二人、隣に住む8歳年上の男(Hちゃん)その妹(Kちゃん)そしてうちの姉と私だ。私が一番年下だった。

Hちゃんは男一人だったから、じいちゃんは期待した。期待し過ぎて引きこもりみたいになってしまった。それでも、Hちゃんは私に優しかったから、私はそんなふうにしたじいちゃんが嫌いだった。

じいちゃんはみんなが中学に上がる時、それぞれ何か欲しいものをプレゼントした。Hちゃんは天体望遠鏡だった。姉は顕微鏡だった。中学生で顕微鏡をチョイスする感覚が私には理解できなかった。

それでも何か買ってもらえたのは羨ましかった。私は買ってもらってない。中学になる前にじいちゃんが死んだからだ。

じいちゃんの葬式に、ディズニーランドの近くに住むいとこ二人は来なかった。じいちゃんに怒っていたようだ。Hちゃんと歳が近かったから、男のHちゃんばかりじいちゃんが大事にしてたのが気に入らなかったようだ。それに、天体望遠鏡も欲しかったようだ、けど、じいちゃんはHちゃんにしか天体望遠鏡を買わなかった。だから嫌われたのだ。

子供だった私は、じいちゃんの葬式に出ないという二人の考えが信じられなかった。けど、今なら理解できる。


最終的に喪主を4回務めてプロ級にこなせた父も、さすがに最初の時はテンパってた。そうなると、私の出番だ。テンパってる父親が母親に怒りをぶつけないためにも、私は動いた。小学5年の時だった。

遠くから来る知らない親戚にお茶をだしたり、案内したり、その時姉はいったいどこにいたのだろうか、私ばかりが目立っていた。私が大人になってからも、あの時かっぽうぎ着てよく動いてたよねって親戚の人に会うたびに言われたくらいだ。

じいちゃんが死んだ日、私はばあちゃんと一緒にお風呂に入った。記憶にある限り、ばあちゃんとお風呂に入ったのはその日だけだ。私は10歳だったが、ばあちゃんがすごくかわいそうに思えた。

じいちゃんが生きてた頃は、じいちゃんとばあちゃん二人でご飯食べてて、私たちは別の部屋で食べてた。けど、じいちゃんいなくなっちゃったから、だから、私が、「これからはばあちゃんも一緒にご飯食べよう」って言った。

しばらくはみんなで一緒に食べてたけど、姉は部活を理由にだんだん一緒に食べなくなり、なんかよく覚えてないけど、結果的にばあちゃん一人になった。

母はとにかくばあちゃんが嫌いだったし、一緒に食べようなんて私が言ってしまったから、よけいばあちゃんに嫌な思いをさせてしまったかもしれないと、私は少し自分を責めた。


じいちゃんは心配性だった。父の帰りが少しでも遅いと、家の外に出て待ってるくらいだった。それが嫌だったはずの父親は、やはり、親子だった。めんどくさいくらい心配性だった。そんなこといって、結局私も血が繋がってるから心配性ではある。

みんなじいちゃんとは話しなかった。たぶん、孫の中で一番話ししたのは私かもしれない。じいちゃんは私に話しかけてきた。けど、話すというか、消しゴム貸して、とか、どうでもいい事で距離を縮めたかったのかもしれない。じいちゃんが最後入院した時、私が一番お見舞いに行ったと思うし、お墓参りも一番行った。


「たまには実家に帰って、ご先祖様のお墓参りした方がいいぞ」とお客さんに言われることがあるけど、一生分のお墓参りはもう終わったから大丈夫なのだ。犬の散歩コースがお墓だったからだ。

じいちゃんは犬を飼うのを大反対した。亡くなった時が悲しいからというのが本音だったようだ。飼う飼わないの時の父親との喧嘩はすごかった。一応諦めた。けど、その喧嘩の後少ししてじいちゃんは入院して、そして死んじゃったから、犬が我が家にすぐやってきた。

その柴犬のムクちゃんと私は毎日のようにお墓参りに行った。実家の庭に咲いてた水仙をお墓の横に私は植えた。それは今だに咲くらしい。ある夜、外で飼ってたムクちゃんが盗まれてしまった。びっくりする出来事だった。母はショックで寝込んだ。それから少しして、家の中で飼えるようにとシェルティのシェルちゃんがきた。シェルちゃんともお墓参りに行った。なので私は、高校卒業するまで、毎日じゃないにしても、1000回はお墓参りしている。

だから、もう十分だ。


サポートいただいたお金は、過去の自分にお疲れ様といってあげれるように、温かいコーヒーでもいただきます!ありがとうございます。