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私は誰か

沖縄での生活は、思った以上に楽しくもあり、自分の可能性を広げるも狭めるも自分次第なのだと痛感させられることがある。

今まで仕事をせずにここまで来たが、そろそろ仕事をしないと自分の生活の基盤を作れなくなってしまう。という『しなきゃ』精神が芽生えてきた。

これでは前と同じになってしまうではないかと思いつつ、日々、自分に与えられている役割がないとこう思ってしまうものなのだなぁとやけに納得してしまう部分もある。

あぁ、自分は誰なのか、なんのために生まれてきたのか、本当はどうしたいのか。

一旦見つけた情熱も長くは続かないのだろうか?

いやいやそう思った時は、ないものに目を向けたり(欠乏感)、外に何かを求めていたり、自分の声を聞けていないからこその内側からのお知らせである。

一旦、立ち止まり、今あるものに目を向け、自分の内側に意識的に目を向け、自分の内側から満たす。

そして自分の人生を信じきる。

どの選択をしても自分の行く道は素晴らしいところにつながっている。

安心して進むがいい。

私は十分にいろんなものを持っている。

そういった自分の中から溢れてくる感覚を十分に味わうこと。


私は私。

他の誰でもない。かけがえのない私なのである。

そして今に集中。

私は十分幸せである。