傷ついた心を守るためにつく嘘が嘘だとわからなくなる

「チンチンをこすりつけないでよ」
一瞬、何をいわれたの意味がわからなかった。母の嫌悪感だけは伝わってきた。私は急いで母から離れた。
「子どもらしく『お母さ〜ん』と言いながら抱きついたら、他の子がお母さんにしてもらってるみたいに、僕もお母さんに抱きしめてもらえるかもしれない」
いくつの時なのかは忘れた。ただその時の気持ちは、はっきり覚えている。勇気をふり絞った。結果、待っていたのは予想外の言葉で告げられた予想通りの拒絶だった。

アメリカの心理学者ハーロウがアカゲザルの子どもを使って行った実験がある。剝き出しの針金で作られた代理母の模型と針金に布が巻かれた肌触りの良い代理母の模型を用意して子ザルがどちらの代理母に懐くのかを調べたのだ。針金剝き出しの代理母の模型には哺乳瓶が取り付けられているため、子ザルはお腹が減ったときは針金剝き出し代理母のところに行く。しかしそれ以外のときは布の巻かれた代理母に抱きついて離れなかった。また恐怖を感じたときなども布の巻かれた代理母にしがみついた。

私の父は子どもに手をあげる人だった。兄は特によく殴られた。殴られる理由は今考えても確かに理不尽なものばかりだった。
「お兄ちゃんは本当にかわいそうだった」「お父さんはひどかった」母は事あるごとにそう言う。母の物言いに苛ついた。それならなぜ父と離婚してでも兄を守ろうとしなかったのかと、母に問うた。
「そんなこと考えもしなかったよ。離婚なんかして、どうやってあなたたちを食べさせていけたっていうのよ」
語気を荒げた母は哺乳瓶は抱えているが針金剝き出しの代理母だった。

私の信仰する宗教では婚前交渉は罪とされている。私はこの教えに強く惹かれ頑なに守ってきた。世間では婚前交渉は花盛りであり、教団内においても花盛りだった。そんな乱れた世の中にあって、この戒律を守り通そうとする私は稀有な存在である。守り通した暁には素晴らしい伴侶との出会いが約束されおり、私の幸せはそこからはじまるのだ。私はそう信じてきた。

カウンセリングも二年目を迎えたころ、もどかしさを感じはじめた。初回のカウンセリングでだいたい二年くらいで乗り越えられると言われていたのだ。あと一歩で何かが変わりそうなのだけれども、その一歩を阻んでいるものが何かわからない。薄紙一枚下に本音が隠れているのはわかるのだが、その本音が何なのかわからない。もっといえば、わかっているのに、わからないふりをしているようにも思える。
前に進めない悶々とした日々のなかで一つの出来事を思い出した。それが冒頭の「チンチンをこすりつけないでよ」事件だった。
嫌な予感がした。結局それかと思った。それを無視しては、はじまらない気がした。向き合うしかない。自分に問うてみた。

もしかして私は母に抱きしめられたかったのではないか?

問うだけで気持ち悪くなった。嫌悪感が湧いてくる。
次のカウンセリングで私はカウンセラーに語った。抱きついたら母に拒否された記憶。セックスを汚い行為だと思っていること。本音では母に抱きしめてもらいたいと思っているのもしれないと考えるとたまらなく気持ち悪くなること。

カウンセリングの最後にカウンセラーは言った。
「母親に抱きしめられる安心を知って育った子どもは思春期を迎え家族と距離をとりはじめます。思春期がきても抱きしめられることによって得られる安心を母親にだけ求め続けたとしたら社会は混乱してしまうので人類は近親相姦のタブーを設けて秩序を保ちました。子どもは思春期を経て家族から自立し、安心を与えてくれる対象を家族以外にも求めはじめます。そして特定の異性と恋愛をし、近親ではタブーとされてきたセックスを通して愛と安らぎを知るのです」
(実際のカウンセリングではカウンセラーはここまで理路整然と語りません。カウンセラーは自身の意図に沿う方向にクライアントを誘導するようなことしないからです。カウンセラーが語った断片を私がこれまでに得た気づきと知識でつなげて文章にしています)

この日、私がセックスを汚い行為だと思い込むようになった原因は母からの拒絶にあったとはっきりわかった。宗教の戒律を信じたのは副産物に過ぎなかったのだ。ショックだった。私だって性欲がなかったわけではない。戒律など無視して高校時代、大学時代に付き合っていた相手と遠慮なく愛し合えばよかったのだ。彼女たちは私の信仰する宗教の教えとはまったく無縁の人たちだった。それにもかかわらず私と付き合ってくれた彼女たちはどんな気持ちだったのだろう。

「あの人(母)のせいで私はセックスという最高の喜びを奪われたのだ」

やり場のない憤りと後悔の念が溢れてきた。私は抑えきれない気持ちを紙に書きはじめた。吐き出し方がそれしか思いつかなかった。最初はたまらなく気持ち悪かった。母に抱きしめられたかったという気持ちを前提としなくてはならないし、セックスへの嫌悪感もある。しかし快楽と愛と安らぎを逃した悔しさは何としても晴らしたい。願望と恨み、後悔の念を繰り返し、繰り返し言葉にした。ノート一枚、裏表が書き終わるたびにそのページを破いてハサミでシュレッダークオリティにまで切り刻んで捨てた。

世界中を敵に回したとしても唯一の味方になってくれるはずの実母からさえ抱きしめてもらえず、安心を知らずに育った私があらゆる人に対して安心できないのは当然ではないか。実母でさえも与えてくれなかった安心を他人の誰が与えてくれるというのか。こんな私でも人と心のつながりを持てる日が来るはずだ、いつか人に安心できる日が来るはずだ、そう信じようとしてきた。残念ながらそんな日は絶対に来ない。私は人を怖れたまま生きるしかないのだ。

何度も言葉にしていくうちに少しずつ自分の気持ちが整理され、本音を受け入れられるようになっていった。薄紙一枚が剥がれた実感があった。見ないふりをしていたものにやっと目を向けられた。
母に抱きしめて欲しかったのに抱きしめてもらえなかったために受けた心の傷がセックスへの嫌悪感だけでなく私が抱える全ての不安と恐怖と絶望の原因だったのだ。

なぜ私があんな母の元に生まれなくてはならなかったのか? 
その答えを探すのをやめた。宗教の教えにすがって自分の不安を正当化するのもやめた。私がこんな環境に生まれなくてはならなかったのは神仏の采配によるものではない。ただの偶然だ。そこに意味はない。よしんば意味があったとしてもその意味が明確にわからないのなら意味はないのと同じことだ。

結局のところ不安は抑えようとすればするほど強くなる。感情は良し悪しのラベルを貼ってうまく捌こうとすればするほど収まらなくなる。ありのままとは不安なら不安のままでいることだ。心が安定するとは何事にも動じない状態になるのではなく動じる心を抑えようとせず動じるに任せておくことだ。動じる心に動じるから不安定になるのだ。

薄紙一枚を剥がしてみるとなんてことはなかった。母を大好きになりたかったのになれなかった苦しみがあっただけだ。そんなことだったのかと自分でも拍子抜した。心は自分を守るために自分に嘘をつく。手に入らない葡萄を酸っぱい葡萄だと思い込むことで悔しさを紛らわせるように。母に抱きしめて欲しいなんて思ったことはないと意地を張って生きてきた。

よくここまで諦めずに生きてきたな。よく頑張ったな。よくやった。
自分にそう声をかけてやる。本当に辛かった。どれだけ言っても足りないくらい本当に、本当に、本当に辛い人生だった。他の誰にもわかってもらえなくてもいい。自分が一番わかっている。自分だけはもう自分に嘘をついたり、裏切ったりしない。私は私のそばからいなくならないから安心していいよ。

今日も目覚めたら安定の不安からのスタートだった。仕事を探す勇気もまだない。
でもいい。もう焦って自分を責めたりはしない。私は人が怖い。相も変わらず不安しかない。それが私であり、それが私だと思えることに今は少しだけ安心している。

ー 終わり ー

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