五十歳までの人生がひっくり返った私が今からは別の人生を歩むしかないのは案外ラッキー

自分が母親から心理的ネグレクトを受けて育ってきたという事実を二十代で知ることができていたらどうなっていただろう。

私が社会でうまく生きられない原因が母にあると知ったのが去年四十九歳のときだ。知ってからもその事実をすぐには受け入れられなかった。母の言動が心理的ネグレクトにあたるというのは過去の記憶を振り返ってみると否定できない事実のはずなのにそれを認めようとしない自分がいた。認めてしまうと私の四十九年間が消えてしまう。

結局カウンセリングを受けはじめてから十ヶ月間は母に難点ありという事実を受け入れるのを拒み続けた。

四十九歳のおっさんになってから虐待に気づいてもこれなのだから、二十代の頃では自分が被虐待者であることを認めるのにはもっと時間がかかるだろう。
親の恩を忘れるなという宗教の強えもあって、もしかしたら受け入れられなかった可能性もある。

二十代で知っていたらどうなっていたのか。想像するのは難しい。
二十代では今私の持っている五十年間分の経験がないから今の感覚で二十代を生きるのとは違う。違うけど、もし今の自分が二十代に戻れたらと考えてみる。

もし二十代に戻ったら。
周囲の人間の言動は可能な限り無視をする。
社会に馴染むために大人になろうなんて思わない。
好きという自分の感覚を信じて好きなことができる生き方を模索し続ける。
絶対にそうする。

五十歳の自分が二十代に戻って好きなことをして生きようと努力している姿を想像すると羨ましくて仕方ない。できることなら本当に二十代に戻りたい。でもそれは無理だ。

だったら、今からやる。そういう話だ。
二十代に戻れたらではなく、五十歳の今から好きなように生きてみる。
四十代後半で二度目のうつ病になって職を失い手に職もないという、所詮世間の相場から外れた身だ。我慢して生きても、我慢せず生きても世間から評価されるのはどちらにしても無理だ。

ふっきればできる。ただそれが一番難しい。これまでもずっと社会に居場所はなかったくせに過去には居場所のあった人間であるかのように振る舞いたいという過去を捨てられない自分が未だ心に居座っている。

まあいい。好きなだけ居座らせてやる。
居場所があったふりをして生きることは居場所がなかったという事実を認めて生きることよりも何倍も惨めだということに私は気づきはじめている。そう長くは居座れない。

私は今から二十代になる。ラッキー。

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今回もこれにてご無礼いたします。
最後までありがとうございました。
みなさま、お元気でー

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