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【ハノイで思ったこと】断られるベトナム

今回はやや趣向を変えてエッセイ風に、ベトナムで思ったことを徒然なるままに書いていこうと思います。

きっかけはこちらのツイート。これ自体はベトナム・ハノイではほぼ日常風景とも言える、ベトナムあるあるのシチュエーションです。

それにしても「もう一回断っているんだから、何回も断らせないでくれよ、しつこいなあ」と思う時もあれば、人によっては「うるさい!」と思う方もいるかもしれません。でもその一方、私は「断られても、断られても誘ってくる、いやあメンタル強いなあ」なんて思うようにもなりました。それを考えるにつれて、断る・断られるの意味合い、重みがベトナムでは大分違うのかなあと思うようになりました。

ベトナムでは日常生活でも「断られる」シチュエーションは沢山あります。伝統的な市場に行けば価格交渉があり、相手の言い値を「断り」、こちらのカウンタープロポーザル(もといハッタリ)は売り手に「断られ」と、断り・断られを何度となく日々繰り返して買い物が繰り広げられます。行政手続きにしても、真っ当な、時に不条理な理由で書類が突き返されることは日常茶飯事。一々断られるごとに落ち込んでいてはメンタルが持ちません。こういう場数を踏むうちにベトナムの人は、断られることに耐性が付いているのかもしれません。

強いては断られることを恐れない無謀な要求、無茶ぶりな誘い・勧誘も堂々と行えるようになるのかなあと感じます。ベトナムとのビジネス商談などをしている中でも、明らかな無茶ぶりともいうような提案を先方がしてくることはしばしばあります。それを受けて「誠意がない、やる気がないんだろ!」「非常識だ!」と言う感じで怒ってしまう日本側との間に立たされたことも度々ありました。でもベトナム側に聞くと割とあっけらかんとしていて「いや、とりあえず聞いてみただけ」と言う感じがかなり多いです。「悪意などは全く無いのに…(どうして怒ってるの?)」みたいになることもしばしば。

日本では、そもそもすぐ断られるような質問、誘いをすること自体を避ける気がします。「何でそんなことを聞いてくるんだ、失敬な!」と直接は言われないまでも、そういう雰囲気がいたるところであるのは皆さんも感じるところでしょう。言ってみれば空気を読んでるわけですが、それがゆえに断る「場数」を踏む機会が圧倒的に少なくなります。慣れていないがゆえに「断る」、特に「スパッと断る」という行為はそれ自体にストレスを感じることも多く、それ故に婉曲的に断る、或いは「持ち帰って検討する」と言う(が実際には検討はせず自然消滅を待つ)、更にはいやいやながら引き受ける、といった選択を強いられることがあります。それでストレスを溜め込んでしまうこと、そんなこともよくありますよね。

そういう自分も、実はなかなか断れない性格の持ち主。でも、今度はあっさり断ってみるのもいいかもしれません。意外と、と言うか(ベトナム側の)相手は全然気にしてないかもしれないし、それを以てさっさと物事が進む方が爽やかかも。更に上級編としては、自分も断られるような無茶なこと言ってみて「断られ場数」を踏んでみようかな!?(でもあまり上級すぎるとただの「厚かましい人」に思われ、日本の方から嫌われてしまうかもしれないのでそれはそれで気をつけないと。)


11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。