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情報化社会になったら、クズが増えた


 便利になる社会になったら、人間が劣化した。


早速だが、いまの社会、NOTEもPCやスマホで読んでいる社会

つまりはインターネットを使っている社会である。
勿論、無線LANやWi-Fiで接続しているだろう。
じゃないと読めない。
まず、あなたに質問である。
自分の電話番号以外の彼氏彼女の電話番号を覚えているか。
ここまでは覚えているかもしれないが、友人クラスになったら
どうだろう。
私は覚えていない。
また、これからの季節、ゲリラ豪雨が増えてくるが、
明日の天気は情報端末やテレビをの天気予報を見たり
聞いたりしなくてもわかるだろうか。
大多数の人間がわからないと思う。
明日の天気は、情報端末で知るか、テレビやラジオの気象情報で
知るであろう。
では、そんな情報端末やなかった時代はどうしていたのか。
濡れっぱなしだったのか。
そうではない。
身体感覚の一部として、おそらく雨が降るだろうという
経験則や五感に基づき、ちゃんと身体感覚で回避していたのである。
身体的Potentialtyの観点からいうと、私達はいつの間にか
Technologyが発達するにつれて、劣化しているのである。
勿論、昔の人間すべてが天気を予測できるかといえば
そうでもないから、そういうPotentialを埋め合わせるために
Technologyが発達したのである。


SNSのいいねボタンは人をクズにする。



まず、クリエイティブアートについては、ロマン派の定義によると
「人の心を傷つける」そういうものである、
ある種の不快さ、不可解さを人々に直面させて、何かを持って帰って
もらう、そういうものである。
逆に、エンターテイメントというのは、人にとって楽しませるモノで
あるから、「人の心は傷つかない」。
この2つのことにより、エンターテイメントの場合はいいねボタンが
集まる。
ただし、クリエイティブアートにとっては、いいねボタンは集まらない。
なぜなら、先程も書いた通り、「人にとっては不快」であるからである。
つまり、いいねボタンは集まらない。
私のNOTEはいいねボタンが集まらないような記事を目指している。
この記事はアートにしていきたいからだ。
私が目指すのは、つまらないモノではなく、「いいねボタン」が集まらない
素晴らしい記事である。
NOTEにおいても、スキのボタンがあるが、2桁の記事なんてザラ。
3桁の記事もある。
そういうクソみたいなエンターテイメントの記事ほど、しょうもないこと
しか書いていない。要は楽しませるための面白可笑しな記事であるからだ。
さらにいうと、NOTEのスキにしろ、Twitterのいいねボタンにしろ、
実際のところ読んでいないのが大半だ。
見出しのところで、いいねボタン(スキ)を押せば、著者には
読んだように見えるが、実際のところ、そんなのわからない。
有料記事ですら、スキを押せる。
全くもって、くだらない。
いいねボタンやスキなどは、今後はAIがすればいい。
Programingさせれば、いくらでもいいねやスキを押してくれる。
極論を述べれば、みんながスキ・いいねボタンを押すものはクズ。
逆に、みんながスキ・いいねボタンを押さないモノほど
ホンモノであると考えたほうがいい。
NOTEは意識高い系が多いと思うが、お前らがクズなのは
スキが多いほど素晴らしい記事だと思ってしまっているから
意識高い系はクズなのだ。


 Likeボタンを押されない人間が人類を支える。



もちろんビジネスの世界では、大多数の賛同者が集まると
金になるという、ビジネスになっている。
情報商材や、著名人の有料ブロマガなどがそうだ。
そういう情報はクソほどあるので、ここから離れて
NOTEの特集ページにでも行けばいい。
少し視点を変えて、別の話をしてみよう。
最近、「ニューロダイバシティ」という言葉を聞いたことがあるか。
また知っているか。


自閉症者が人類社会に「不可欠」である理由 〜実は障害ではない!
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51688


要は、自閉症スペクトラム、米国のDSM-5では範囲が広がるが
発達障害である。
いまの現代社会の先端研究では、もうそれは、Disorder(障害)ではなく
必要なTRIBE(種族)と考えるのが最新となっている。
なぜなのか。それは、古来より、狩猟民族であった時代から
私達が行かないような危険なところに、ポーンと行くような
人間がいたからである。それはその人間の興味深さや、新開拓したい
というカタチから、大多数が行かないようなところに行ってしまう人間が
少なくとも1割はいないと、私達はこの記事すら書いていられなくて
人類は生き残っていなかったわけである。
歴史的に見ると、いいねボタンを押されないような人間が行動することによって
私達が生きているという現実、事実は見逃せないであろう。
いや、筆者の述べていることは違うという人間は立ち去ってほしい。
ブラウザバックすべきである。



 多数派が決める社会とクズ



ここ最近顕著になってきているのは、大多数が
いいねボタンで決める社会になっていることだ。
また、SNSの中ではクズが増えた。
私が述べる、「クズ」というのは、別に屑ではなくて、
「多数派に流され、自分の意見を持たない、
また軸も持たない人間のこと」を述べている。
つまり、ツイートもNOTEの記事も書けないような、
いいねやスキボタンしか押せないクズどもが増えたということだ。
また、自分自身の意見が持てない、より社会がネットにより
意見が多数派を占めていて、反対意見でも述べれば
潰されるというような社会においては、自分の意見すら
持っていなくて、軸すらない人間も増えた。
そういう人間の典型的な例は、Twitterにも見られるが
多数派に支持されている人間たちのツイートを
リツイートするだけの単なるクズである。
人の意見を集約しかできないような自分の意見も軸もないクズ。
どうしようもないようなクズだ。
私は、この記事の読者を前回の記事で、社会人〜大学生、そして
男性に対象付けた。
なぜなら、ニューロダイバシティというのは総じて男性である。
そもそも狩猟社会においては、女性というのは洞窟や隠れて
種の保存、子孫繁栄をしなければならなかったのだ。
女性が動物を狩るという考え方はほぼない。
よって、新しいInnovationを創造する際にも、男性が危険なエリアに
飛び込み、獲ってくるべきなのである。
こういうことを書くと、フェミニズムたちがうるさいが、
黙ってろ馬鹿。クソみたいなクズのエッセイや
誰も読む気も起こらない、しょうもない短編小説でも書いておけ。


ということで、この辺りで。
いまは、スノーデンの著書を読み砕いている。
あと、これでスキボタンがいっぱい押されると非常に不快である。



北里明日香(Asuka Kitazato)

これは過去のアーカイブです。

2020年12月5日 午前3時17分


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