見出し画像

感情的で何が悪い

もはや、言われて嫌だったことについて
論理的に反論しなくちゃいけない世界が嫌い。

疲れた。
嫌なもんは嫌なんだよ。

いま、何個もnoteの途中まで書いた記事の下書きがある。
「なぜ、その言葉を発してはダメなのか?
なぜ、その言葉に違和感を抱くのか?」


私の持っている知識と、その他調べた事実たちで、
強者側に反論しようとするけれど、
頭の中でぐるぐる渦巻く考えがある。

「もしかしたら自分も差別しているのでは無いか?
もしかしたら自分も間違っているのでは無いか?
そのことで、誰かを傷つけたり、また誰かから揚げ足を取られて、いじめられるんじゃないか?」

最近文章を書いていると、すごく苦しくなってくる。

もちろん、正義は論理で、フェミニズムも論理で、包むことができるだろう。
でも論理で固めた私たちの言葉は、相手の嘲笑でひと蹴りにされるし、どんなに論理的でも聞いてもらえないことがほとんどだ。

どうして弱者側は、感情的に「それが嫌だ。嫌だから、嫌だ」と言ってはいけないんだろう。
単純な嫌悪感で人を傷つけてきたのは、いつだって強者側なのに。

女は感情的、男は論理的。
今までずっと言われてきた。

だから、私は女である理由だけで受けてきた屈辱を
論理的に語らなければならないと思っていた。

私たちを守ってきたのは、論理だけれど
私たちだって感情的になることは許されるべきだ。

今まで私たちを自分の感情のままに、踏み潰してきた強者たちが当然のようにそうしてきたのだから、
私たちだって感情的になっていい。

その感情が誰かの尊厳を踏み潰さなければ、
ひどいことをしてきた奴らに、感情で噛み付いたっていいはずだ。

今気付いたんだよ。やっと。
「女は感情的だ。」
その言葉は、女の口を塞ぐための常套句でしかないんだ。都合の良い都市伝説だ。

論理的にものごとを語るのは、苦しみを伴う。
体力もいる。時間もいる。

嫌だった、辛かった、苦しかったという感情は
論理的に語れなかったとしても、消していいものじゃないんだ。論理的に語れないからこそ、絶対に消えないんだ。

だって私たち人間が感情を持つことは、当然だから。
人間なら論理も感情も、どちらも持っているはずだ。
私たちだって、感情的になったっていい。

#フェミニズム #フェミニスト #エッセイ #日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?