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脚本「百万本の薔薇」

「百万本の薔薇」

(Manhattan96 Revue ~窓枠のパレード・パレード~より)

  ある街。アパートの前の、広場。
  舞台上手に、イーゼルとキャンバス。
  下手奥にバルコニー。
  イーゼルの前に座って絵を描いている画家。どこかやっつけ仕事な感
  じである。
  物語は画家・女優・娼婦の3人のみで進行され、他の登場人物は舞台上
  には現れない。

画家  さあできた。魅惑的な唇の彼女と、力強いお顔立ちの旦那、どうだ
    いよく似てるだろ。(金を受け取り)ありがとう。良い旅を!(金
    を数えしまい込むと、時計を見て、店仕舞いの準備。)
   (ふと呼びかけられて振り向く)おう!早いな今日は、行くのかい?
   (飲む仕草)・・・もちろん。今日は景気が良かったんだ、奢るぜ、
    店のツケでな・・(行こうとする友人を呼び留めて)なあ!そうい
    えば今夜は、街の劇場に有名な女優が来るんだぜ、お前知ってる
    か?・・・大騒ぎ?そんなに有名なのか?(笑われたのか少しすね
    て)・・・劇場には一度も行ったことがないんだ。知らない
    さ。・・・美人なのか?・・・・そりゃあ一度おさめてみたいもん
    だな、このキャンバスの中に・・・・ああ、すぐ追いかけるよ!

  片づけを続ける画家。
  女優風情の女がトランクを引きながら通りすがる。
  ちらりと目をやる画家。片付けに戻る。

女優  あなた、今日はもう店じまいかしら?
画家  ああ、今日はそろそろ・・・
女優  なにか書いてくださらない?一枚(帽子を外す)
画家  (女優の美しさにあっけにとられる)ええ、ええ、もちろん喜ん
    で。

  慌てて描き始めようとする画家。もたもたしている。

画家  (もたもたしながら)ご旅行ですか?
女優  いいえ、仕事で来たの。いい街ね。気に入ったわ。
画家  そう、そうでしょう。(もたもたしている)
女優  ねえ、綺麗に描いてね
画家  ああ、ええ、もちろん。ご心配なさらなくても、元が素晴らしいで
    すから奥様は(もたもたしている)
女優  やめて奥様だなんて、これでも独り身なの。(深呼吸をして)気持
    ちのいい街。いろんな街を巡ってきたの、どの土地の人もとても良
    くしてくださったわ。でもひと月もすればまたすぐに次の街でしょ
    う。奥様、なんてご身分にはいつまでたってもなれそうにないわ。
    でもね、私こうやって街から街へと渡り歩くのが好きなの(ひらり
    と一回りしてみる)かもめみたいに・・・

  画家、手が滑って画材を落としてしまう。

画家  ああっ
女優  ・・・忙しい人ね。
画家  いえ、すみません。その・・・ええと、街から街へ?
女優  ええ、仕事で。
画家  それはもしかしてその・・・劇場から劇場へ??
女優  ええ、そうよ。
画家  するってえと、あなたがあの有名な!
女優  ・・・あら、ご存知でしたの?
画家  いやあ、驚いたなあ!いえね、昼間のお客があなたが街に来るっ
    て・・・そりゃもう大騒ぎ・・・いや、街中が大騒ぎだったもんだ
    から!一度お目にかかってみたいなあなんて、思っていたんです
    よ。まさか本当にお会いできるなんて。・・・どうりでお美し
    い・・・
女優  やめて、仕事中みたいな気分になるわ。ここはただの広場よ、私も
    ただの一人の女だわ。
画家  はあ。
女優  (微笑んで見せる)
画家  あの、その、いい街でしょう!この街は空気もオレンジも酒も絶品
    ですが、女はどうも、気が強くてね。あなたみたいな人には初めて
    お会いしましたよ、凛としていて・・・華麗で・・・その・・・
女優  筆が動いていないんじゃなくて?
画家  あっ、今すぐ。
女優  (笑って)この街の生まれなの?
画家  いえ、ここ数年です。
女優  そこのアパートに?
画家  いえ、町はずれに小さな家が。
女優  そう、残念ね。私はあのアパートに泊まるのよ。
画家  え?あんな安アパートに?あ、いや・・・
女優  言ったでしょう、仕事が終われば私もただの女よ。本当の私は、こ
    ぢんまりしたところで過ごすのが好きなの。
画家  じゃあ・・・僕と一緒だ。
女優  そうね。・・・いいわね、こんな所で普通に暮らせたら、どんなに
    いいかしら。
画家  さあ、できた。お気に召すといいのですが。

  キャンバスを渡す画家。絵を見てひきつる女優。

女優  ・・・これが私?
画家  はい!
女優  ・・・ずいぶん派手なお化粧ね。肩が丸見え・・・・それにこのド
    レスの色・・・
画家  舞台の上であなたが演じる姿を、想像して描きました。
女優  そう・・・でもこのドレスの酷い色・・・これじゃまるで・・・娼
    婦みたいだわ。
画家  え?
女優  あなたには私がこんな風に見えるの?・・・目があんまりよろしく
    ないみたいね。

  女優、キャンバスを放り投げる。

画家  あっ!
女優  どうもありがとう。いい時間つぶしになったわ。これ、足りなかっ
    たらごめんなさい。

  札を渡し、去っていく女優。
  ぽーっとしている男。女優を見送り、絵の中の女優をじっと見つめる。
  アパートのバルコニーから声。開け放たれる窓。

女優  ねえ!シャンパンでも開けましょうよ、長旅で疲れたわ!今度はど
    んな作品なの?もちろん主役なんでしょう?そう!ありがとう、あ
    なたのおかげよいつも。
    でもね、悲しい女の役はもう嫌。今度はもっと・・・そうね、コメ
    ディがやりたいわ。ねえ、あなたから劇場プロデューサーに言って
    おいてくれない?悲劇のヒロイン、次回作ではコメディに挑戦!話
    題になるわね、きっと!(キスの音) 
    ・・・ねえ、覚えてる?昔どこかの街で、窓を開けたら広場中が
    真っ赤なバラで埋め尽くされていたことがあったわね。私てっきり
    あなたのいたずらだと思ったのよ。・・・そう!観客たちが街中の
    バラを買い集めて、私に薔薇の海を見せてくれた。愛の印
    に。・・・震えたわよ。涙で視界が真っ赤だったわ。燃えてるみた
    いに。
    ・・・え?ええ・・・そうね、そうしましょう・・・・また見たい
    わ、あの景色・・・・真っ赤な・・・ええ、そうね!いま行くわ。
   (ショールを脱ぎながら部屋に入っていく)

  じっと聞いていた画家。おもむろにポケットの中のコインを集めてみ
  る。数える。ちょっとしかない。しばらく考えて、忙しくキャンバスに
  向かう。
  やがて夜になる。街灯の下に移動して描く。
  しばらくすると、ひょっこりと現れる娼婦。客を引いている。

娼婦  いいじゃない、寄っていきなよ・・・悪くないよ?・・・・え、馬
    鹿言ってんじゃないよ・・・こっちも商売だよ!・・・ちっ、文
    無しぼうやはさっさとママのとこに帰りな!

  いらついて手ごろなものを蹴りつける娼婦。
  画家の姿に気付き、大きく驚く。しばらく見ている。
  一心不乱に描いている画家。

娼婦  ・・・ねえ!
画家  わあ!
娼婦  こんな夜更けに絵なんて書けんのかい?
画家  (街灯を示して)どうにか。
娼婦  家で描きゃいいのにさ。冷えるだろ夜は。
画家  (娼婦のドレスを見て)君も随分冷えそうだ。
娼婦  あたしは、慣れっこだからさ。ね、何描いてんだい。
画家  悪いけど、客を探してるんだったら他を当たってくれないか、いま
    はそれどころじゃないんだ。金もないし。
娼婦  (笑って)客?あんたに買われるほど不自由してないから安心しな
    よ。あんたがうんと金持ちになったら、そんとき買わしてやっても
    いいけど。
画家  じゃあ、その時にまた。
娼婦  ・・・ねえ。ねえ!
画家  ・・・・
娼婦  あたしゲージュツのことはまるで素人だけどさ、見るのは好きなん
    だよこう見えても
画家  ・・・・・
娼婦  酒場に飾ってある絵、あれもあんたが描いたのかい?
画家  ・・・そうだけど。
娼婦  やっぱり。ねえ、あたしずっとあんたの絵を見てたよ、
画家  ええ?(ちょっと嬉しそうに、身だしなみを整えたりする)
娼婦  あんたの絵さ、変だよ、色がめちゃめちゃ。

  間

画家  ・・・・・なんだって?
娼婦  だってこれ・・・バラ描いてんだろ?バラ、バラ、バラと・・・
    女?どうしてこんな冷たい色で描くんだい?
画家  冷たい色?
娼婦  氷の世界に閉じ込められたみたいに、寂しいよ。
画家  ・・・・(キャンパスとパレットを何度も見比べて)これは、赤?
娼婦  それは・・・青ね。
画家  これは緑?
娼婦  それは黄色。ええ、あんた絵描きなのに色の区別ができないの?
画家  ・・・さっきも言われた、ドレスの色が酷いって。
娼婦  どんな色に見えたの?
画家  (色をつくって)こんな色。鮮やかな・・・
娼婦  悪いけど、こんな汚い色のドレスを着る女は・・・あたしみたいな
    仕事にだっていないよ。
画家  ・・・だから俺の絵は売れないのかもしれない。金があれば、バラ
    が買えるのに・・・絵じゃなくて、本物のバラの花が・・・

  沈黙。

娼婦  ねえ、教えてあげようか、あたしが。
画家  え?・・・なにを?
娼婦  色を。
画家  色?
娼婦  売りたいんだろ、その絵。だったら色が使いこなせなきゃ。あたし
    の見てる色でよければ、だけど。
画家  (思いっきり警戒と疑いの顔)
娼婦  なんだいその顔!
画家  ・・・だって・・・
娼婦  下心なんてありゃしないよ、言っただろ、好きなんだよ、見るの
    が。いいよ、別に気が乗らないなら。青ざめた絵ばっかり描いてた
    ら?(去ろうとする)
画家  見せてあげたいんだ・・・
娼婦  え?
画家  見せてあげたいんだ、あの人に、真っ赤な真っ赤なバラの海を。

  娼婦、画家の手から筆をとる。
  見つめ合う間。音楽。別々の空間に、娼婦と画家。

画家  やあ!昨日はすまないな、飲みに行けなくて。実は・・・ちょっと
    勉強を始めたんだ。だから、しばらく飲みには行けないと思う。酒
    場の皆によろしく伝えてくれよ!
娼婦  これは緑。夏の街路樹の色。猫の瞳の奥の色。やさしさと深い深い
    慈悲の色。
画家  絵を・・・買ってほしいんです。一枚でも二枚でも構いません、今
    この街でいちばん斬新な作品です。色彩にこだわっているんです。
    あなたのお部屋にきっと合うはずです、どうか、どうか・・・
娼婦  これが水色。4月の晴れた空の色。澄んだ川の水面の色。かつての
    別れと寂莫の色。
画家  すみません、バラの値段を伺いたいのですが。いえ、花束ではなく
    て、もっとたくさん・・・それじゃ足りないな・・・ありったけだ
    と、いくらくらいにになりますか?
娼婦  これは橙色。熟れたオレンジの色。焼け付く夏の太陽の色。故郷へ
    の果てしない慕情の色。

画家  聞いて!
娼婦  どうしたの?
画家  買ってくれたんだ、絵を!
娼婦  ほんと!?
画家  思っていたよりずっと高く値がついた、三ツ星のレストランだよ。
    買い付けの人や美術家も多く訪れるらしいから、紹介してくれるこ
    とになった!
娼婦  すごい!
画家  君のおかげだよ!(手を握って)ありがとう!忙しくなるぞ・・・

  握られた手を頬に当てて目を瞑る。

娼婦  琥珀色。朝焼けの光の色。私を見る、希望に満ちた瞳の色。
   
  去る娼婦。
  描き始める画家。命が宿ったように活き活きとしている。

画家  これは山吹色。色づいたイチョウの葉の色。今日の出会いを喜び合
    う、親愛の色。これは茶色。なめした革の光沢の色。戦う労働者の
    汗の色。これは赤。流れる血の色。薔薇の花の色。愛を伝える花の
    色。

  現れる女優。慌てて声をかける画家。

画家  あの!
女優  あら、この間の、ごきげんよう。(去ろうとする)
画家  待って、これを、あなたにと思って。

  画家、二本のバラを女優に渡す。

女優  ・・・これを?
画家  バラがお好きだと・・・聞いたので
女優  それはどうもありがとう。薔薇って、たった二本だけだとずいぶん
    貧相に見えるのね。初めて知ったわ。
画家  あの・・・二本のバラの花言葉をご存知ですか?
女優  いいえ。
画家  一本のバラの花言葉は、一目ぼれ、二本のバラの花言葉は、「この
    世界に、ふたりきり」。
女優  ・・・
画家  つまり・・・・その・・・
女優  ねえ、あなた。
画家  はい!
女優  今日は劇場にいらっしゃるの?
画家  ・・・・・いえ、今日は。・・・いや、実はまだ一度も・・・お金
    がなくて・・・
女優  そう、残念ね。今日はあなたのために踊ろうと思ったのに。
画家  え、ほん、本当に?
女優  ええ、こんな風に。

  女優。バラを咥えて美しく踊りだす。踊りながら花びらを全部散らして
  しまう。

女優  ごきげんよう。
  
  捨てられた茎を拾う、画家。

画家  紫色。輝くアメジストの色。断ち切ることのできない嫉妬の色。灰
    色。羽ばたく小鳩の羽根の色。押しつぶされそうな劣等感の色。赤
    色。薔薇を咥える唇の色。情熱の色。開かない緞帳幕の色。

  憑かれたようにキャンバスに向かう画家。
  その姿をいつしか見つめている娼婦。

娼婦  赤色。肩の大きく開いたドレスの色。下品な口紅の色。薄汚れた肉
    体の色。薄紅色。小さな小さな蕾の色。花開くことのない、色。

  静寂。
  娼婦、酒瓶を片手に、煽っている。
  没頭してきづかない画家。

娼婦  酒場の雰囲気がずいぶん変わったね。
画家  (気づいて)ああ、酒場のマスターが今までの絵を全部入れ替えた
    いって。大騒ぎだったよ。
娼婦  繁盛してたよ。あんたのおかげだってさ。有名な評論家の先生が褒
    めてくれたんだって?
画家  そう!街の新聞と、広報誌にも記事を書いてもらえることになった
    んだ。
娼婦  大出世だこと。あ、ここ、赤をもう少し足したらもっといいよ。そ
    れからここも。
画家  (素直に従って)僕はなにもしてない。先生と、それから君のおか
    げだよ。
娼婦  (笑って)あたし?
画家  君だよ。
娼婦  じゃあ、買うかい?たまにはあたしのことをさ。
画家  ふざけるなよ。友達は買えない。
娼婦  女は買えない、の間違いだろ。意気地なしの天才画家に乾杯。

  娼婦は画家に酒を渡す。乾杯。

画家  買えないんじゃなくて、買わないんだ、僕にはあの人がいるもの。
娼婦  ・・・ふうん。
画家  ねえ、僕にお金が貯まったとする。やっと街中のバラをかき集めら
    れるくらいの。そうしたら、夜中にこっそり、酒場の連中に手伝わ
    せてこの広場をいっぱいにするんだ。足の踏み場もないくらい。
    朝、目が覚めて彼女がバルコニーに出たら、一面が真っ赤なバラの
    海。ねえ、彼女はそのときなんていうと思う?
娼婦  うーん・・・
画家  君、ちょっとやって見て。
娼婦  は?なんであたしが。
画家  練習したいんだ、僕、こんなときなんて言えばいいのか・・・いつ
    も頭に血が上っちゃって、ちっともうまく伝えられない。今から考
    えておかなくちゃ。ね?そこがバルコニー、はい、立ってみて。
娼婦  嫌だよ、こっぱずかしい。
画家  頼むよ、ほら。(立たせる)君は薔薇の海を見てる、僕はその真ん
    中に立って君を見つめてる。はい、アクション!
娼婦  あたしは女優じゃないよ、ただの商売女。
画家  いいから、君の思うようにやってみて!
娼婦  (しぶしぶ)・・・・まあ!すごーい!広場が真っ赤だわ!
画家  ・・・大根だなあ
娼婦  あんたがやれって言ったんだろ!
画家  ごめんごめん、続けて。
娼婦  ・・・・・広場が真っ赤だわ、私はこの景色が観たかったの。いっ
    たい誰がこんなことを?
画家  僕です!あなたのために、街中のバラを集めました。
娼婦  あなたが?うれしい、どうもありがとう。こんなことをしてくれた
    のはあなたが初めてよ。
画家  僕も、僕もこんなに愛した人はあなたが初めてです。
娼婦  ・・・・。ええ?
画家  初めて見た時から、ずっとあなたのことしか見えないのです。
娼婦  ・・・・
画家  二本のバラの花言葉を覚えていますか?
娼婦  「この世界に二人きり?」
画家  あなたしか目に入らないのです。朝起きてから、夜寝るまで、夢の
    中までも、ずっとあなたの姿が瞼を離れない。もう僕の世界には、
    あなたと僕の二人しか生きてるものはいないみたいだ。
娼婦  ・・・・
画家  愛しています。
娼婦  もう一度言ってくださる?
画家  何度でも。あなたを、あなたを愛しています。
娼婦  私もよ・・・私も・・・・。私の心にも、バラが咲いたみたいな
    の・・・

  間。
  笑い出す娼婦。

画家  え?え?
娼婦  酷いね、照れくさすぎるよ、それじゃあ。
画家  ええ、そうかなあ?うまく出来たと思うんだけど。
娼婦  あんたにしちゃあね。
画家  君が相手だとまったく緊張しないのになあ・・・。でも、やっぱり
    もう少し、さりげないほうがいいかな・・・ね、ちょっともう一回
    最初から!
娼婦  嫌だよ。ひとりで夢見てな!(腰かけて酒を飲む)
画家  夢じゃないよ、これから現実になるんだ、もう少しで。
娼婦  ・・・ねえ、あんた、絵なんて食ってけないよ、今はちやほやされ
    てたって、すぐに捨てられちまうんだ。一瞬だよ、一瞬の夢。
    パーッと稼いだらさっさと辞めて酒場で働きな。安定した暮らしだ
    よ。
画家  女優の恋人が酒場で働いてるなんて話、聞いたことないよ。
娼婦  (笑って)本気で言ってんの?
画家  夢じゃない。これから現実になるんだ。ねえ、君の夢は?
娼婦  あたし?ないよ、そんなもん。
画家  あるだろ、子どものころなりたかったものとか。最初からこんな仕
    事したかったわけじゃないだろ。
娼婦  あんたね、誰にでも夢があるだなんて思っちゃいけないよ、酒場の
    連中を見てごらんよ。夢も金もないごろつきばっかりだろ。
画家  でも、みんな何かは夢見てるさ。樽一杯のワインとか。
娼婦  ポーカーに必ず勝つイカサマカードとかね。
画家  で、君は?
娼婦  (笑って)・・・あたしは・・・・なにになりたかったのか
    な・・・。今の夢はね、普通の暮らし。普通に毎日お日様と一緒に
    目覚めて、普通の小さな家に住んで、普通の旦那と、普通の子ど
    も。普通の食事して、普通のベッドで眠って、普通にまた次の朝が
    来る。普通の毎日。普通の人生。
画家  普通の人生ねえ。
娼婦  退屈すぎて居眠りしちまうだろ。
画家  いい夢だよ。
娼婦  ・・・そう?
画家  絵にはならないかもしれないけど。
娼婦  ・・・絵になんてならなくていいよ、あたしは。
画家  ・・・いや・・・・いいかもしれない。次は君の絵を描こうか。
娼婦  は?
画家  隣町のコレクターに頼まれてるんだ。「美しい絵を描いてくれ」っ
    て。
娼婦  また女優さんの絵を描けばいいよ。
画家  うん・・・でも、君の絵もいけると思うな。退屈すぎてみんなが居
    眠りしちゃうような、暖かくて、平和な・・・・君は小さな家に暮
    らしていて・・・隣には旦那さんと子ども・・・うん、すごくいい
    よ。描こう、君の夢みてる普通の絵を。
娼婦  やめてよ。
画家  ・・・・・
娼婦  そんなもん、勝手に描かないで。

  背後から男たちの声が聞こえたらしく、娼婦立ち上がる。

娼婦  今行くよ!(画家を見て)仕事。行ってくる。(酒をあおる)
画家  ・・・・(娼婦を見ている)
娼婦  (キャンバスを示して)・・・ここには、黄色をもう少し足すと
    もっと映えると思うよ。
画家  ありがとう。

  去る娼婦。
  再びキャンバスに向かう画家。
  バルコニーに浮かび上がる女優。
  不吉な音楽。

女優  ねえ、どういうことなのこれ、主役のはずじゃなかったの?こんな
    地味な役・・・こんな下品な題材の・・・いやよあたしこん
    な・・・・出ていくわ、あたしこの街から。別の街でだって、あた
    しひとりでだってやっていけるもの。どの街も私の話題で持ち切り
    なんだもの。
娼婦  大変大変!ねえあんた!芝居は明日で終わりだ、女優は街を出てい
    くってさ!次の街に行くんだよ!
画家  そんな急に!まだ金が集まっていないのに・・・・
娼婦  もう少しだったのに、残念だったよ。でもさ、最後に絵でも送っ
    て、すぱっと忘れちまいな!
女優  忘れていくですって?誰も私のことを忘れたりなんかしないわよ!
    どの街でだって、花束に、お菓子に、お酒に、みんなが私を取り囲
    んで・・・・私愛されていたじゃない・・・愛してなかったの?誰
    も本当は私を・・・ただの売り物でしかなかったの・・・?
画家  売ってきたんだ、家と、それからキャンバスを!
娼婦  キャンバスを?
画家  これでまとまった金になった、今までの稼ぎと合わせて、バラが買
    えるよ!
娼婦  なんてこと・・・・・だって、それじゃあ、これから先どうやって
    絵を描くの?道具も家もなくて。
画家  そうだ、今から劇場のプロデューサーに会って話をしてくる。
娼婦  劇場?
画家  大きな仕事をもらえるかもしれない、舞台美術とか、もしかした
    ら、彼女に関わる仕事も!
女優  無理なのよ、もう・・・誰も・・・私のことなんて・・・
娼婦  無理よ、そんなの!
画家  前金でもらえばまた画材が買い戻せる。心配することはないよ。そ  
    の帰りに、バラを、バラを注文してくるよ!

  いつからか娼婦を見つめている女優。

娼婦  どうしてそんなに愛せるの
女優・娼婦 ・・・命を懸けて、人生を懸けて・・・・
画家  ついにバラが買えるんだ、ありがとう、君のおかげだよ、本当に!
娼婦  何もかも捨てて?・・・その後は、ただ落ちぶれていくだけ、泥水
    の中を・・・色のない世界の中を・・・ものすごい速さで・・・逆
    らえないの
画家  うまくいったら、いちばんに君の所に伝えに行くよ。はあ、どうし
    よう、さっきから震えてるんだ。
娼婦  逆らえないのよ?
女優  逆らったことなんかなかったじゃない!あなたの言う通りに演じて
    きたじゃない・・・あたし、あたし捨てられるの?・・・
画家  うまくいくかな・・・もう一度だけ、練習させてくれないか
    な?・・・あなたを、愛しています。
女優  愛してたわ・・・私も、命を懸けて・・・・

  娼婦、女優を見ている。
  拍手とスポットライト!
  暴力的に消される。
  画家がいる。なにか話をきいている様子。

画家  ・・・・・・・・・・え?

  暗転もしくは照明変化。
  トランクを引いた女優が足早に横切る。
  待ち構えていた画家がそれを遮る。
  震えている女優。

女優  あら、この間の。ごきげんよう(去ろうとする)
画家  待って。
女優  ここはいい街だったわ、とても。でも残念、もう行かなくちゃ。次
    の街へ。
画家  どこの街に行くって?
女優  ・・・遠くよ、もっと南。ここは・・・夜は少し冷えるでしょう。
    もっと暖かいところに行くのよ。
画家  ・・・・どこの街の、なんて劇場に行くって?!
女優  ・・・・暖かいところに行くのよ、ここは寒くてとても寂しいか
    ら。(去ろうとする)
画家  (掴んで)劇場のプロデューサーに会ったんだ、話を聞いたら、あ
    なたはもうとっくにこの街にはいないと言われた。劇場の隣の高級
    ホテルに泊まっていた女優は、先週別の街に云ったって。
女優  ・・・離してくださる、失礼だわ、こんな。
画家  それから酒場に行ったら、大声でこんな話をしてる男がいた。最近
    買った女はへんてこでね、俺をプロデューサーに見立てて、女優
    ごっこをするんだ、高慢ちきな言葉づかいに派手な身振り、高い酒
    をせびられたけど、なかなか乙な夜だったよって。
女優  ・・・暖かいところに行きたいの・・・・

  画家、女優の帽子を取る。娼婦である。

画家  ・・・君・・・・。
娼婦  乱暴はよしてくださる、付き人を呼ぶわよ。
画家  何のマネなんだよ。こんなことして・・・バカにするのもいい加減
    にしてくれ!
娼婦  バカになんてしちゃいないよ!
画家  ・・・じゃあ、どうしてこんな・・・
娼婦  どうして???

  間。

娼婦  人の心の色も描けない、ひとりぼっちの絵描きさんには、永遠にわ
    からないわ。

  間。

娼婦  離してくださる?船の時間がありますの。
画家  やめろよそんな喋り方。
娼婦  ・・・・見たかったわ、真っ赤なバラの海。いつか見た景色、もう
    一度・・・
画家  ウソだろ。
娼婦  花束や、お菓子や、拍手と、歓声・・・
画家  ウソだろ。
娼婦  みんなが、私を愛してくれるの。
画家  ウソだろって!!!
娼婦  (おびえている)
画家  女優にはなれなかったんだろ?
娼婦  ・・・・・・
画家  君は・・・・・君の為に僕は・・・なにもかも・・・
娼婦  見たのよ、真っ赤なバラの海。
画家  真っ赤なバラは見なかった。
娼婦  ・・・・
画家  花束もない。
娼婦  ・・・・
画家  お菓子もない。拍手も歓声もない。
娼婦  ・・・・・
画家  誰も君を愛していない。
娼婦  でも、あなたは女優の私を愛したんでしょう?
画家  ・・・・・
娼婦  あなたが愛した女優と、私が見たバラの海、いったいどこが違う
    の?
画家  ・・・・・愛していたのに・・・
娼婦  (少し笑って)・・・・・誰を?・・・幻を?夢の中の女優
    を?・・・それとも・・・・
画家  ・・・(初めて見るように娼婦をじっと見ている)・
娼婦  ・・・(食い入るように画家を見ている)

  見つめ合う長い時間。
  画家の手が、ほんの少しずつ娼婦の頬に伸びる。

娼婦  (突然に)買うの?
画家  え?
娼婦  買うの?あたしを
画家  ・・・なに?
娼婦  言ったでしょう。あんたがもし金持ちになったら、買わせてやって
    もいいって。
画家  君・・・
娼婦  あたしは商売女だよ、タダで触ろうなんて思わないでよ。働いて金
    貯めて、こんな暮しとはさっさとオサラバするんだ。買うの?買わ
    ないの?
画家  ・・・・いくら?
娼婦  ・・・・・・・・・・・・・
画家  いくらで買えるの?君を。
娼婦  高いよ?あたしは
画家  金ならあるよ。もう必要のないものだ、僕には。
娼婦  (札を受け取って)・・・・ありがと。上客だよ。

  二人、バルコニーに去っていく。
  亡霊のように現れる、若き日の女優の姿。
  帽子とトランクを大切そうに拾い上げ、バルコニーを見る。

女優  赤色。赤色は・・・赤色は・・・・

  希望に満ち溢れた様子で、去っていく。
  照明変化。
  次の日。酔った様子の画家。

画家  おう、マスター!オンザロックで頼むよ!ツケでいいだろ!・・・
    ちっ、放っといてくれ・・・・なにもかも終わりだよ、家もない、
    仕事道具もない、金もすっかりとられちまった・・・あんな、あん
    な嘘つき女のために・・・・・ろくでもないよ、まったく・・・・
    え?行っちまったよ、どっか遠くに・・・・今頃暖かいところで、
    足を洗って普通に暮らしてるんだろう・・・・俺が稼いだ金だぞ!
    ひどいよ、俺が・・・・俺が、あの子と一緒に描いた絵で・・・。
    なあマスター、だから頼むよ、住み込み3食つきでどうだい?い
    や、じゃあせめてとっぱらいで・・・・(呼ばれる)え?・・・あ
    あ、俺だけど?・・・俺に?

  外に出ると、包みが届いている。開ける。
  キャンバスと、筆、新しい絵の具。
  バラの花が二本落ちる。拾い上げる。
  周りを見渡すが、もちろん誰もいない。
  強く握りしめ、指にとげが刺さる。血を見て。

画家  これは・・・赤。流れる血の色。・・・愛を伝える、花の色。

  たたずむ画家。ひとり。

                              幕


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