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家族における贈与関係について(つまりは、キャッチボールの続け方)

いろいろな人からこの前書いた記事について、問い合わせをいただいた「贈与関係を目指す」とは何かについて書きます。なんか長くなりそうですが、もう仕方ないとあきらめましょう。お互い。

ちょっと前に、Timebankという有名人の時間を買い取るサービスがリリースされました。一秒○○円で有名人の時間を買ってその間は好きなことをお願いできる、というものです。また、「人の時間を奪うから電話はよくない。メール、チャットにすべき。」という議論もあったりします。

これらはいずれも、時間=価値(金)という見方をしていて、その前提には等価交換の原則があります。この原則はとても一般的なもので、この原則が乱されると人はとても悲しんだり、怒ったりします。「こんなに高い金額払ったのに全然おいしくなかった」とか、等価でないことを盾にとって「(見合った価値の分)割引しろ」というクレームをつけてみたり。あるいは、仕事で新人がよくやる「あの忙しい先輩にこんなこと聞けない、どうしよう」的なやつも等価交換の原則に基づいているといえます。「忙しい先輩の時間」と「自分が困っていることを聞くことで生まれる価値」が等価でない(でも他に打ち手がない)から困っているわけで。結構、等価交換の原則って社会全体に根付いているなあと思うわけです。

というのが、長い前置きでして。さて、付箋に書いたのは、そういう等価交換じゃなくて、贈与関係に基づいて家族内のコミュニケーションをとっていこうぜ、という意図でした。

上述のように、等価交換の原則というのは、
①交換するものの価値は等価でなければならない
②価値の交換は原則同時に行わなければならない
という2つから成り立ってます。

これ、すごい強力なんですけど、家庭内に持ち込むと角が立つというか、こう優しくないんですよね。たとえば、自分が熱を出したとします。そのときに、等価交換に基づいて考えてしまうと、本当は看病してほしいのに、でもそれに見合う対価を今差し出すことはできない、しかたない、交換する価値がない以上、自分で何とかするしかない、となってしまうなあと。

あるいは、別の例でいえば、夫婦で一緒に過ごしていて相手の悩みや考えを聞く、といった状況で、同じ時間を過ごすのにも仕事だったらお金になる/楽しいのにそんなことないしなあ、みたいに価値を天秤にかけるようなことも起こり得てしまうわけです。その結果、等価交換にならないと判断した場合、自分にとって損だけど礼儀もあるし、ここは話を聞いておくかと諦めたり、前向きに失った価値を取り戻すべく価値を生み出す場にしようと前向きに思ってみたりすると。

これらは極端な例ですけど、等価交換、なんとなく不自由だなあという実感があったんですよね。便利だし、公平な感じだけど、楽しくない。どうしたら楽しくなるのかなあと。で、いろいろ考えた結果、贈与関係がいいんじゃないかと行き着いたというわけです(ちなみに、先に言っておくと、この「贈与」というのはマルセル・モースの「贈与論」から拝借したアイディアで、全然新しくもないし、オリジナリティもないです。念のため。)。

さて、贈与の場合、以下の3つのルールに従います。
①贈与に対しては返礼をもって応えなければならない
②贈与と返礼は同時である必要はない
③返礼においては、贈与でもたらされた価値と同等かそれ以上の価値をもったものを与える必要がある

なので、先ほどの例の場合、熱出したらですね、相手に世話になったらいいんです。つまり、贈与を受け取ればいい。で、今度相手が困っていたときに助けてあげれば、それが返礼になるわけです。パートナーの話は聞いてあげればいい。それが相手にとっての贈与であるかぎり、今度は自分が困ったときに向こうが助けてくれるとなるわけです。変に意地はらなくていいし、負い目をおう必要もない。とてもシンプルに考えることができます。

相手に対して贈与することに理由をつけられることは、結構いろいろな場面で物事を前向きにとらえやすくなって便利だなあとも思います。もっとドライな見方をすれば、返礼は贈与よりも同等かそれ以上の価値があるのであれば、これは損しない投資ともみなせるわけなので、やさしさとか思いやり、とかそういう性格や感情ではなく、合理性を根拠にできるのもいいなあと。

また、等価交換は同時にその場で交換が行われてしまうので、一度きり。でも、贈与はそのあとに返礼があり、その返礼が次の贈与となって次の返礼を呼び、という形で、綿々と贈与と返礼の交換を繰り返していく、いわば、終わらないキャッチボールのようなものです。そして、キャッチボールはそれ自体が楽しい。だから、贈与には楽しさが内包されているとも言えます。だから、楽しく暮らすには必要だなと思って付箋に書きました。

等価交換って、たぶん、経済とか商売の文脈で生まれた考え方で、基本、次どうなるかわからない、一回限りの関係が前提になってるんだと思います。等価交換が行わなければ次は別の相手と取引するよ、というわけです。なので、厳密性や同時性が重んじられると。でも、それはあくまでそういう世界のルールで、家族は続いていくものなので、そもそも前提が全然違うわけです。なので、そこには持ち込まないようにしようよ、ということを言いたかったということもあります。

ということでした。今回も長くなりましたが、こんな感じの回答でした。いつまでも続くといいですよね、キャッチボールって。

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