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とうかぶの三日月宗近について語らせてくれ

※新作歌舞伎『刀剣乱舞 月刀剣縁桐』のネタバレを多分に含みます。

とうかぶを見た新人審神者兼歌舞伎初心者が見て思ったことを書きます。
(花丸TV版2作・雪・月、ミュ心覚まで、ステ慈伝まで履修済みです)

主にシナリオの感想です。なのでず〜〜と三日月宗近の話でろくろをまわしています。
基本的におもろかった〜!という感想なので、肩の力を抜いて読んでいただければと思います。


元の主の死をいかに受け入れるか?

これ何度噛み締めても美味いですよね。刀剣乱舞においてみんながぶつかるテーマであり、数々のメディアミックスで初めに取り上げられてる印象があります。プレイヤーも序盤で引っかかるポイントですよね。「これどんな気持ちで出陣してんだろ」って思うもん。
で、歌舞伎でもそのテーマを最初に扱ってくれたのがすごくよかった……。この作品から刀剣乱舞を知った人でも感情移入しやすいシナリオだったと思います。
歌舞伎の美味しい演出なんかもたくさん取り入れてくださっているようで、本当に歌舞伎ファン、刀剣乱舞ファンどちらでも楽しめるように作ってくださってるなと感じました。めっちゃ真摯……。

今回メインを担っていた三日月宗近、「主を正史通りに死なせる」ことについては初めから決心がついているものの、どこか複雑な気持ちもある……という振る舞いをしていました。ここが他のメディアミックス作品とかなり違うところで、歌舞伎本丸ならではのポイントだと思います。

ミュージカルや舞台版において、そういった矛盾を抱えた刀剣男士は主を死なせないための行動を取ることが多々ありました。これはこれで青臭くていいのですが、ある程度キャラクターに愛着がある状態だからそう思えるだけでは?という側面もあるんですよね……。人によっては「勝手なことしないでよ💢」になることもあるのかなと。なんかめっちゃハラハラしちゃうじゃん、そういう展開……。

ただ三日月はそういう行動には出ないだろうな、という安心感がありました。本人もきちんと任務が最優先であることを明言していましたし。
三日月の「義輝の死を見届ける覚悟はできている。ただ少し引っかかるものはある。」というスタンスはかなり観客に近く、刀剣乱舞自体に馴染みのない観客にも受け入れやすいのかな〜と。
今回の行く末ハラハラ枠は義輝だったので、主人公側の三日月が安定してくれて良かったです。バランスが取れてて。

あとこの「最後には何とかしてくれるぞ!」感、時代劇の風味ありません?水戸黄門フォーマットというか。なんかそれもしっくりきてて好きでした。いきなりフワッとしたな。

刀だとしても、人だとしても

非常に印象的だったのが三日月が義輝に言った「あなたの臣下として使えることはできません。ただ、お側で見守ることはできます」的なセリフ。
「ここで臣下として名が残っては歴史が変わってしまうが、任務のため義輝を監視できる位置には居たい」ということなのでしょう。でもオタクだからさあ……それを三日月が言っていることに何か見出そうとしてしまうんですよね……。

 イヤホンガイドで聞いた知識の受け売りなのですが、舞台設定上の価値観として「主のために忠言をする臣下は良しとされる」そうなんですね。
三日月の中のあるべき臣下像もそうだったとすれば、どうあっても三日月は臣下にはなれないのではないかと思います。刀であった時はもちろん、今でも義輝(このときは菊胴丸)の夢の実現に与することはできません。義輝が目標通りに政で世を治めてしまったら歴史が変わっちゃうので……。

 人の身を得た今であれば、という気持ちと、人の身を得た理由との間で板挟みになって、その結果として三日月は「人の身を得ようともそれはできない、刀であった頃と同じようにそばにあることしかできない」という結論にたどり着いていたのかなと。だとしたらどれだけ歯痒いか!

 夜の庭で義輝と宗近が共に月を眺めるシーン、「ただ流れに身を任せるしかない」というようなことを言っていたのは、今ここで義輝に勧言しようとする己への戒めでもあるのかもしれません。そうじゃない可能性のが高いです。オタクの妄言だから全部幻です。

だからこそ我々は望月だけでなく、三日月をも愛でるのだね

クライマックス、三日月と義輝が一騎討ちになるシーンの話をします。覚悟を決めているようでモヤモヤの残っていた三日月があそこで一気に救われて、めちゃくちゃカタルシス〜!!と思って見ていました。というのも、最期に義輝は道半ばで潰えた己の人生を肯定して死んでいった——と私は妄想しているからです。

本当は勝手に推し測っちゃダメなんですこういうのは。国語の答案だったら書いてないこと勝手に読み取っててペケですが、オタクの感想だから勝手に深読みしますね。

深読みソースは今際の際に義輝が放った
「見よ 我らの別れに相応しい、麗しき三日月だ……」
的なセリフです。セリフ全部うろ覚えですみません。戯曲が出たら買わせてください。

義輝は戦乱の世を政で治めようとした人です。物語の上ではその想いの強さに漬け込まれてしまい、暴走し、そして殺されるわけですが。ともかく義輝の根源にある思想は「政で世を治める」です。

で、政治と月といわれてパッと思いつくものとしてこの句があるかと。

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば

藤原道長

足利義輝も有名な辞世の句を残した人なので、どこかで聞いていてもおかしくないと思うんです。そうでなくても後世のウチらは義輝って聞いたら三十一文字のこと思い出しちゃうぢゃんね✌️!

この句は完璧に自分の思った通りの政治体制を敷いた藤原道長がその様を「欠けた部分のない満月」に喩えた句ですが、そうした時に義輝を取り巻くこの状況はまさに「欠けた月」と言えるのではないでしょうか。

そんな「欠けた月」である三日月を最後にああやって愛でることが出来たわけです。最期まで含めた自分の人生を「欠けていながらも美しかった」と認められた、ということなんじゃないかなと思います。もちろん義輝が宗近を既に三日月宗近そのものだと勘付いていたという事もあるんですけど。行間に文字詰めて食うのが趣味なんです、御免!

これが庭で2人つきを見たシーンのリプライズとして挿入されている点もグッときますよね。
1回目のシーンで三日月は義輝の夢に対して力添えすることができない状態に歯痒さを感じていることを示唆した——と私は思っているのですが、そのアンサーとして「三日月はただ在るだけでひとの心を動かすのだ」と提示されているのアツすぎませんか。「宗近はただそばにあっただけだが、それでも義輝は己の人生を肯定して死んだ」……ってコト!?

地球から見たら月は満ちたり欠けたりしますが、そこにある月自体はずっと同じものです。光の当たり方が変わっているだけです。
後世の歴史上には偉業を成し遂げられないまま名を残したもの(弾正もここにあたるのかも)、あるいは名すら残らなかった存在がめちゃくちゃいるわけです。前者が欠けた月だとすれば、後者は新月でしょうか。
彼らもまた月と同様、光が当たらなかっただけで、満月と同じだけの志や高潔さがあったのかもしれないと、欠けた月になぞらえて考えたりしました。

さいごに慣性で書いたところ

あ〜〜〜〜〜〜〜よかった!!!やっぱ刀剣乱舞って人間讃歌であり人間哀歌だわ!!!
まあ散り際に生き様を見出す傾向があるので、人生讃歌という方が正しいのかもしれんが……。あれは半生が人生になる瞬間だもんね。原作がめちゃくちゃ日本的な感性の作風だから、より歌舞伎というフォーマットにもマッチしたのかもしれないな〜と思います。

他のキャラの良かったところにも言及したいし、お洋服好きなので衣装も褒めたいとこいっぱいあるし、演劇をワンバイトしてるから舞台演出についても超言いたいこといっぱいある!!てかカーテンコールの話もしたい!!書き散らし感想もまた備忘したいです。

とにかくとうかぶ、めちゃくちゃいい作品でした!DVD化、ひいては次回作も期待しています!!







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