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【持論】自己啓発本との付き合い方 ~DaiGo炎上騒動を受けて~

「ホームレスの命はどうでもいい」
「言っちゃ悪いけど、いないほうがよくない?」
「邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ」

2021年8月7日。メンタリストのDaiGoさんが自身のYouTubeチャンネルで配信した動画の中でホームレスの人たちを差別する発言をし、ネットで炎上に発展しました。

ニュースになる程の炎上になったのは、彼が有名人で多くの人に影響を与えてしまう発言力があるからでしょう。

その発言力の強さは、YouTubeでは250万もの人からチャンネル登録され、著した書籍も累計300万部以上の発行部数を記録していることから圧倒的です。その他にも企業コンサルタントだったり、自身の動画配信サービスを運営したりなど八面六臂な活動を行い、その自己啓発的な知識や主張が多くの人たちからフォローされています。

たかが一個人の意見と捉える声もあるしょうが、厚生労働省は制度の趣旨や重要性を改めて周知するために13日に公式ツイッターで「生活保護の申請は国民の権利です」と投稿しています。今回の発言がホームレスの人や生活保護を受給する人たちへの差別を広めかねないと危惧したからです。それほどまでに彼のようなインフルエンサーの持つ影響力は凄まじいのです。

しかしこの炎上は、有名人が倫理に劣る発言をしたという一個人の過ちとして片付けられるものなのでしょうか。

前提としてどうでもいい命なんて決してないのは当たり前ですが、その当たり前の真理に反する考えがどうしてDaiGoさんのような高学歴でフォロワーの多い人間から発せられたのか。彼の自己啓発的な書籍や動画に触れる人間全員がこのような優生思想的な考えを持っているわけでは断じてないですが、YouTubeのチャンネル登録ボタンを押したり彼の書籍を購入するに至ったその欲求行動はその思想と決して断絶しておらず、細くとも確かな糸でつながっていると私は思います。

ジャーナリストの津田大介さんはツイッターで次のようにコメントしています。

2021-08-17 23.17のイメージ

DaiGoさんに限らず、昨今自己啓発系の書籍や動画が広まっている背景には津田さんの言う「自己責任型新自由主義」があると私は思います。

本題に移る前に「自己責任型新自由主義」を簡単に説明させてください。
「新自由主義」という言葉には、いろんな意味や考えが入り混じっていますが、ここでは簡潔に次のような意味とさせていただきます。

 新自由主義:利益や富を最大限に生み出すには、個々人や企業を自由にさせて能力を無制限に発揮させるのがいいという考え。

これでもかなり柔らかく表しましたが、さらに柔らかく崩しますと、、

経済活動から余計なルールなんて撤廃して、自由に競争しあおう!
そしたら世の中の金回りはよくなって、競争に勝つために市場価値を磨けば誰もがお金を稼げて自由に幸せになれるよ!
だけど、競争に負けて貧困になるのは市場価値を高める努力をしなかったあなたが悪いんだよ。その辺は自己責任だからね。よろしく。

という感じです。

つまり、自己責任型新自由主義とは「市場価値」というパラメータを基軸とした弱肉強食のバトルロワイアルみたいなものです。もともと「市場価値」という言葉は商品につく基準でしたが、それを人間に当てはめて強弱のパラメータにしてしまったのがここ20年ほど私たちが生きているこの社会です。

そんなの当たり前じゃんって思う人はきっといるでしょう。だけど、当たり前と思ってこの世界の空気を無意識に吸い続けるのは、薬になることもあるが毒にもなると私は考えます。私たちはこの蔓延する空気が毒になるメカニズムも知っておかなくてはいけない。

昨今自己啓発系の書籍や動画が広まっている背景に「自己責任型新自由主義」があると述べましたが、言ってみれば「自己啓発」こそが「市場価値」というパラメータを上げるための一つのツールです。だからこの手の書籍や動画が求められるのです。

別にこんなことは誰でも知っていることで、わざわざどこの誰とも知れない私が難しい理屈を経由して満を辞したようにいうことではないでしょう。
現代に生きる多くの人たちが現状の自分に不安や不満を持ち、「成長したい」、「年収を上げたい」などと考える。そのために自己啓発的な書籍や動画に触れて血肉にし、このバトルロワイアルの勝者、いわば「勝ち組」の側に行こうと渇望する。

現状をよりよくしたいと考えて、自己啓発に走ること自体は決して悪くないと思います。むしろ素晴らしいと思うし、私自身そうやって自己啓発に走っている人間です。

自分の未熟さを自覚し、
成長するために夢や目標を掲げて、それに近づくために自己啓発的な書籍や動画で取り上げられている学習方法や知識を実践する。そういう形で自己啓発を正しく使い、その中にDaigoさんの発信するものを自覚的に取り込むのはありだと思います。

しかし、自己啓発や努力をしていることを鼻にかけて、それをしていない人たちや貧困層にいる人たちを人格的に貶めることは決してしてはいけない。
まして「いないほうがいい」なんてことは断じてないです。

人間というのはどうしても他人よりも上に立ってボスザル気分に優越感に浸りたく思ってしまう生物です。自分が頑張っている横で、頑張らずに怠惰にふけっている人間がいれば、

「自分はこんなに苦労して頑張っているのに、苦しいことから逃げてあいつは人としてなってないな」なんて思うでしょう。

そして自分が出世して金持ちになり、その人がお金に困っている様子なんて見ようものなら、

「はっ!なまけてばかりいたからこんなになったんだ」と貴族気分で冷笑するでしょう。

更にその傾向が強まれば、「あんなやついなくなったほうが社会のためだ」と人は言い出すのです。

ここで一つ問いたい。
自己を啓発して努力し、金や地位を人よりも多く得ようとする。どうぞみなさん頑張ってくださいと私は思います。
しかし他人に同じ努力と思想を心の中で強要し、他人がその通りに動かなかった時、みなさんに他人を見下し貶める権利があると思いますか。ましては「そんな人はいなくなったほうがいい」なんて言う権利があると思いますか? 百歩譲って心の中で思うだけならいいですが、インターネットやSNSでそういうヘイトに満ちた言葉を発信して、人を傷つけてもいい権利はありますか?

自己啓発を通じて「市場価値」を高めるのは、所詮一つの価値観にすぎません。
誰しもが「市場価値」を高めなければいけないなんてことはありません。自己啓発的な風潮が肌に合わない人だっています。市場価値が下がった商品は処分されますが、人間にその論理を当て嵌めるのはとても残酷です。だって人はモノじゃなくて、人は生きているのですから。

人類全員が市場価値獲得レースに参加することに参加登録書に署名して同意したならまだいいですが、レースに参加したくない人を巻き込むことはないでしょう。

そもそも世の中は頑張った分だけ報われるなんて単純なものではありません。たくさん頑張って夢や目標を叶える人もいれば叶えられない人もいます。逆にそれほど頑張らなくても運や才能や出自でうまくいく人もいます。

また、経済が資本主義で回っている以上、どうしても貧富の格差は広がる構造にあります。貧しい人がより貧しくなるのは、その人が市場価値を高めなかったという個人の話だけでなく、むしろそういう例は例外で、ほとんどは社会的な問題や背景が根っこになって発生する事象です。それをここで言及するのは話の落としどころを見失うのでやめにしますが、そういう社会的事象によって貧困になる人たちを新自由主義的バトルロワイアルの敗者とみなすのは極めて乱暴な考えではないでしょうか。

いろいろ話が脱線してしまいましたが、今回のDaiGoさんの発言は新自由主義的なバトルロワイアル思考がベースになって出てしまったのではないかと思います。

繰り返しますが、自己啓発系の書籍や動画に触れること自体は決して間違ったことではないです。正しく使用すれば薬となって人生を豊かにしてくれるでしょう。だけど、薬も飲み過ぎれば毒になり、心を蝕みます。

要するにやりすぎはよくないというだけのことです。
DaiGoさんの炎上で多くの人が傷つくことになりました。だけどこれが教訓となり、今後私も含め多くの人たちが正しい距離間で自己啓発本や動画と付け合えるようにできたらと願うばかりです。

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