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父と母、それから家族の事

最近、立て続けに家族とトラブってる。

まず、妹と喧嘩別れした。
夫と気まずくなった。
最後に母からも「あんたと居るとすごく気を使うからしばらく距離を置きたい」と言われた。

これら全て、私がより自分らしく生きようとしたため、起こるべくして起こっている出来事だと思う。

これまでは、ずっと、我慢してきた。
でも、まずは自分を大切にする、と決めて、我慢をやめた。

言いたい事は言うようにした。
嫌なものは嫌だと言う事にした。

すると、今まで、思い通りになっていた私が思い通りにならなくなったもんだから、
「もういい」
「面倒くさい」
「すごく気を使う」
「聞き流してくれれば良いのに怒られるから嫌だ」
とか言い出した。

でも、それは仕方ない。

そもそも、「思い通りになっていた私」は「本当の私」ではない。

私には私の意思があり、私は私が思った通りに生きていく権利がある。

その権利を奪おうとする者に対して、
「私は私のやりたいようにやります」
「それってあなたの意見ですよね」(何故かひろゆきさんが降臨)
と、言ってるだけ。

近しい人ほど
「良かれと思って」
色々言ってくる。
そのお気持ちはありがたいとは思うのだけど、実は「ありがた迷惑」なんだよね。

だって、それは「あなたの意見」で「あなたの価値観」で、どれだけ家族であろうと、それは人それぞれ違って当然なので。

「面倒くさい」
ああ、そうですか。こっちも面倒くさいです。
「聞き流してくれたら良いのに」
では、言わないでもらえますか?
「もういい」
はい。ご自由に。

これまで、なかなかそれが言えなかった。
自分で自分を疎かにしてたから起きてた現象みたいです。

自分を大切にし始めたら、謎に周りからも大切にされて、自分が満たされると、周りも大切にしたくなるそうです。

私は今、そんな生き方をしたいと思っています。

最後に父の事。

父は子どもの頃に結核で相次いで両親を亡くし、それまではお金持ちのお坊ちゃんだったのにどん底に突き落とされ、親戚をたらい回しにされてしんどい思いをした後、瀬戸内海に浮かぶ小さな島の母方の祖母に育てられました。
戦後という事もあり、食べるものがなくて、道に落ちている豆も拾って食べたそうです。
中学校での成績はトップだったのに、お金がなくて昼間の高校に行けず、新聞配達で住み込みで働きながら夜間高校を卒業しました。
大学へ行きたかったけど、働きながらお金を貯めて、生活と勉強の両立が難しく、それでも英語が勉強したくて、航空自衛隊に入り管制官になりました。

そんな父の事を私は誇りに思っていたのに、母は自衛隊を辞めた頃から父に対してあれこれ言うようになり、私たち姉妹も徐々に父を軽んじるようになって行きました。
父はパチンコにハマり、夜もなかなか家に帰って来なくなり、母は激怒して離婚騒動までありました。
ちょうど私の高校受験〜大学受験にかけてだったので、家では落ち着いて勉強できず、塾に居残りして勉強していました。
今思えば、時間外だったのに、先生、よく付き合ってくれたなぁ。

そんな感じで、父と母は、元々ソリが合わなかったのだと思うけど、途中からそれが剥き出しになったのでしょう。(因みに私は父に似ています。そっくりだそうです。「あんたはやっぱりお父さんの子じゃね」と母はちょっと嫌そうに言います笑)

そんなわけで、私は家族とは距離を置き、父に対してはずっと塩対応だったし、母とも表面上はうまくやってたけど、苦手意識はずっとあり、母の上を行く我の強い妹の事も正直好きではありませんでした。

そんな私を父はずっと気にかけて、愛してくれて、事あるごとに助けてくれました。
だけど、素直になれなくて、父が末期癌で亡くなる直前にやっと素直に「ありがとう」って言う事ができました。

9月に広島凱旋ライブツアーが決まった事も、父が愛して止まなかった故郷の東広島市西条町でライブをする事ができるのも、父が天国から応援してくれているのかも。

私は大丈夫。
家族とも、そのうち和解できると思う。

こういう事は一時的にうまくいかなくても、「時」という薬が、ゆっくりと溶かして行ってくれるものだから…。

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