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第1話 汎ユーロ地中海条約原産地規則の改正(前・後編)

前 編

(2021年8月27日、第60話として公開。2021年12月15日、note に再掲。)

 改正汎ユーロ地中海条約原産地規則の近い将来における実施が予想されることから、前編では汎ユーロ地中海条約原産地規則について改正に至る経緯とその構造について概説し、改正規則の主要変更点の骨子を述べることとします。次回の後編では、逐条の解説を含む改正汎ユーロ地中海条約原産地規則の全体像をお伝えしたいと思います。

改正に至る背景

「スパゲティボウル現象」と特恵原産地規則の宿命


 FTA・EPA全盛の昨今、「スパゲティボウル現象」という言葉はほとんど死語になってしまったかもしれません。これは、自由貿易を標榜しFTAには批判的であったコロンビア大学のバグワティ教授が使い始めた言葉です。その後、様々な意味で使われるようになり、FTA毎に異なる特恵原産地規則が存在するという制度の複雑さ、それを利用する際の手続の煩雑さなどを表現する常套句となりました。

 しかしながら、WTOによる多国間での自由化アプローチが停滞する中で特恵原産地規則の統一・調和などは夢物語と考える実務家の間では、多種多様な特恵原産地規則が併存してしまうことはある意味「仕方がないこと」と考えられていたように思います。なぜならば、FTA・EPA交渉における原産地規則は、特に品目別規則においては交渉相手国と自国の産業・貿易の規模・競争力に対応して厳格化すべきか緩和してもよいかの判断基準が分かれるので、必然的に異なる規則に仕上がってしまうからです。ところが、FTA交渉当事国が近隣国同士で、その一方が巨大市場を擁する「巨人」である場合には状況が異なります。

EU加盟の過程としてのFTA網の構築と単一市場

 欧州は、ご存じのとおり二度にわたる大戦への反省から国家を超えた統合こそが平和と繁栄をもたらすと考え、ドイツ・フランスを中核とした三つの共同体を起源とする欧州連合(European Union: EU)へと統合の途を進みます。この共同体は周辺諸国を徐々に取り込み、経済面では関税同盟を経た単一市場として27ヵ国を擁する巨大市場を形成し、機能面では (分野によって加盟国の固有権限を残しながらも) 独自の立法・行政・司法機関を有する超国家的な統合にまで発展しました。

 こうした近隣諸国との統合過程においても、第一歩は経済的な統合、就中FTAを締結することから始まりました。分野によって様々であったとは思いますが、筆者の原産地規則分野での交渉の経験から申し上げれば、FTAの締結交渉に当たって、当事国の一方の経済規模が巨大で他方はそのバリューチェーンへの参入を主目的とするような状況にあっては、交渉者の立場も「条件を満たせるのなら入れてあげてもよい」と余裕を見せるのか (EU)、「多少の不都合があっても入れてもらえれば目的達成」として妥協ありきの姿勢で臨むのか (周辺諸国)、大きな差が生じるようです。EUに加盟すれば結局のところEU法制そのものを実施することになるので、EU加盟候補国同士のFTAであってもEUとの間で締結した標準的なFTA原産地規則とほぼ同じものが締結され、これらが欧州型特恵原産地規則を形成していきました。

 こうした下地があって、1994年1月にはEUとEFTA諸国 (スイスを除く。) との間の欧州経済領域 (EEA) が創設されています。EEAは関税同盟ではありませんが、単一市場としてのEEAを一単位として原産性判断を行う地域原産 (originating in the EEA) の考え方に基づき、完全累積 (full cumulation) 制度が採用されます[1]。また、EEAにスイス及びトルコを加えた汎ユーロ圏で対角累積 (diagonal cumulation) を適用しあう「汎ユーロ累積」も開始されています[2]。対角累積は、二国間FTAの締約国ごとに原産性判断を行う国原産 (originating in a country) の考え方に基づきながら、モノの累積を域内第三国に適用することができるので、物資調達上の優位性を与え、地域間貿易を助長します。ただし、対角累積を適用するには諸条件を満たさねばなりません (詳細は後述します。)。

欧州隣接国・地域への経済的統合の手段としてのFTA網の構築


 欧州の地域統合において、EU (ECを含む。) 加盟には厳格な要件を満たさねばならず隣接国がすべて加盟できるわけではありません。しかしながら、欧州隣接地域の安定のためには経済的な結びつきを強化しておくことが肝要です。このような発想の下に、1995年、地中海地域の平和・安定・繁栄を促進することを目的としたバルセロナ・プロセスと呼ばれる欧州と地中海諸国とのパートナーシップが創設され、EUの対地中海地域政策の制度的枠組みを提供することになります。

 ここで、汎ユーロ累積で適用されている対角累積がバルセロナ宣言署名国に拡大されることになります。そもそも二国間FTAを網の目のように張りめぐらす方法は「線」を交差させるだけで「面」の機能は果たしません。二国間FTAの考え方として、たとえ共通の第三国とFTAを締結していたとしても、当該二国間FTAとは無関係です。したがって、「線」の集合体を「面」にするには、新たに多国間FTAを締結しなければなりません。しかしながら、そのためには多大な時間と労力を要します。そのため、便宜的に編み出された手法が「対角累積」です。(図表1, 2参照)ただし、対角累積が適用されるのは、最終産品の輸入国 (域内輸入国)、同加工・輸出国 (域内輸出国) と材料の供給国 (宣言署名国) が同一の原産地規則を適用する場合に限られることから (図表3参照)、標準規定としてのユーロ地中海原産地議定書 (“Euro-Med origin protocol”)[3] が承認され(2003年7月ユーロ地中海貿易大臣会合)、個々の協定で採用されていきました。

 その一方で、汎ユーロ地中海原産地規則に関する地域条約(Regional Convention on Pan-Euro-Mediterranean Preferential Rules of Origin: PEM Convention)(以下「PEM条約」)の策定がほぼ時を同じくして決定され(2007年10月ユーロ地中海貿易大臣会合)、2012年に発効します。PEM条約は、参加国FTAのユーロ地中海原産地議定書と順次差し替えられています。この差替えには、(i) 既存のユーロ地中海原産地議定書を削除しPEM条約を適用する旨の規定を挿入する方法と、 (ii) PEM条約の内容をそのままFTAに原産地規則として書き込む方法がありますが、対角累積の適用はユーロ地中海原産地議定書又はPEM条約のどちらかが規定されていれば可能です。また、新たにFTAを締結する場合には、PEM条約の適用が所与の要件とされています。

 バルセロナ宣言署名国との措置は、EUの安定化・連合プロセスへの参加国(西バルカン諸国)、ジョージア、ウクライナにも拡大されることになります。ただし、西バルカン諸国が関与する場合には、材料供給又は産品の生産に関与するすべての国がPEM条約(又は同じ内容の原産地規則章)を適用していなければなりません。(スイス連邦税関資料「Guide to the Pan-Euro-Mediterranean cumulation of origin」[4]、欧州委員会資料「The pan-Euro-Mediterranean cumulation and the PEM Convention」[5])

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我が国との二国間貿易のみならず、第三国間のFTAの活用を視野に入れた日・米・欧・アジア太平洋地域の原産地規則について、EPA、FTA、GS…

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