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手を引いてくれたのは、なだらかな坂道を下れたのは

もう既に前回何を書いたのか記憶にない。

最後の更新がいつだったかすら覚えがない。確認する気も起きない。

とにかく毎日家から出るのが億劫なら、トイレに行くことにすら時間を要する。

いつもはなんとなくゲームをして過ごすこともあるが、今日はそれすら面倒に思えた。

部屋は相変わらず汚い。病状は変わらないし、もしかしたら悪くなっているかもしれない。

なんとか外に出て、精神的に広義で生活に障害がある若者向けの相談所を頼った。引きこもりなども多いだろうに、来所方式の場所が多い。私は約束を破りまくっている。出掛ける準備ができない。シャワーを浴びられない。

一度ユニットバスに入ると、出てきた時には二時間近く経っていることさえある。お湯に浸かるわけでもなく、当たり前に特別なボディケアなどはしていない。蒸れて暑い密室の底で縮こまって蠢いていればくたびれるわけだ。それでなくてもシャワーが嫌いなのに。

シャワーを終え身支度をしようにも、頭がとっ散らかって準備なんか進みやしない。出掛けるまでのタスクを頭の中に並べ立てて、それから人目に触れる恐怖を思い出す。私は私の見た目なんかどうでもいいけれど、容赦無く他人はみっともないとか醜いとかダサいとかジャッジしてくる。それが嫌だ。

そんな恐怖に囚われると、いらないタスクや思考が横入りしてくる。

化粧が必要かどうかとか、服装に工夫が必要かどうかとか。

化粧は好きだけど、家を出る時間が迫っているのに手を出すことではない。服装なんかはそもそも洗濯が滞っているのに工夫の仕様もない。両揃いの靴下を探すだけで精一杯だ。

そんなこんなで、いつも出掛けて家に帰ってくるとびっくりすることになる。いつだって部屋は汚いが、急いで準備を終え出掛けた後の部屋はそれこそ、泥棒でも入っていてくれた方が気持ちが楽になるかもしれないという有様だ。ちなみに泥棒には入らないでもらいたい。どうせ貴重品を見つけるまでに時間が掛かって私と鉢合わせることになるからだ。希死念慮があるとはいえ、痛いのも怖いのも殺されるのも御免だ。


近所へ出かけるのも面倒臭い。それでも相談所の仲介もあって、とうとう障害者手帳の申請をした。そもそも私が何級で申し込んでいるのか、何という病名と診断されているのかも知らない。受理されればもう、紛うことなき障害者だ。上で、広義で生活に障害があるという記述をしたと思うが、今までの私と手帳を持った私は何ら変わらない。だから、手帳の取得ができない障害者だっているのだ。障害者はやさしい言葉に直せば、困っている人と言い換えられる。

実は過去に精神障害者手帳を持っていたことがある。私はその頃に一体何をしていたのかあまり覚えていないし、特別な恩恵に与ったような記憶はあまりない。

ただ、過去と今では障害者という一つのスペックを持つことの重みが違うことを実感する。今現在酷い生活をしていて散々色んなことに困っているのに、そのカテゴリーに飛び込むことには漠然とした不安を未だに感じる。ちなみに手帳が無事取得できれば、困りごとに対する様々な支援を受けることができるようだ。

ただ、私が思春期を過ごした環境は特別だった。

閉鎖病棟に二度も入った経験もある。一緒に遊んでくれた年上のお姉さんは地下鉄を無料で利用していた。周りには様々な精神障害者がいた。私が会った老若男女はみんなそれぞれ色んなことに悩まされていて、そして意外と普通なのだ。勿論病状が現れる時はあるけれど、それ以外の時は人にもよるけれど意思疎通もある程度できる。病院の外で会っても街の雑踏に紛れてしまうような人が大半だった。

それを知っているから幾分気楽になれた。

思春期の記憶なんて散々なものだ。嫌なこともたくさんあったし、本来得られた筈のものを一分一秒過ごすごとに失っていく日々だった。けれど、その時の記憶の一部に今助けられている。過去のお陰でもう少しだけは生きていけるという希望が持てる。

精神障害者手帳は二年ごとに更新の必要がある。診断書を見ていないので本当のところどうだかは知らないが、私はおそらくADHD(今は不注意優勢とかADDとは言わないのだろうか)と双極性障害と診断書に書かれているのだろう。ADHDは脳のつくりや回路の特殊性が原因となっている生来の障害であるため、訓練によって生きやすくなることはあるかもしれないが治ることはない。また、双極性障害も遺伝の関与があるといわれている病気だ。風邪などのように治るとは考えず、ある程度症状が軽減したとしてもそもそも自分にはそういう性質があると忘れてはいけない。つまりどちらも一生付き合うだろうものだ。二年で手帳に別れを告げるような希望は持てず、申請が受理されたなら更新作業はただただ億劫なものとなるのだろう。

かかりつけの精神科医は前回前々回の診察内容をちゃんと覚えていないような人だった。私も予約通りに行くことのできない悪い患者なのであまり文句は言えないかもしれない。ただそうなると、私はこれからどんどんと妥協し悪いところへ落ちていくことになるだろう。それに私は人間恐怖症で疑心暗鬼なので、相手を実際より悪い人間だと見積もってしまうこともある。だからこの件については第三者に相談をして客観的な視点を得る必要があるだろう。

私はこれから社会的に障害者になるのかもしれない。それでも今周りにいる方は、精神障害というものに対して一般的に持たれがちなイメージのバイアスが掛かった眼鏡で私を見ないでいてくれるだろうか。マイノリティーが理由もなく被る偏見による被害(差別などによって実際に被る損失がある。平均寿命が著しく短くなったりするのもそういった理由が一部関係している、らしい)を表す横文字を覚えたのに忘れた。そもそももう既にバイアスなどではない実害を周囲に看過できないほどにばらまいている可能性もある。私の知らぬ場所では似顔絵の書かれた手配書が撒かれていたりするのかもしれない、というのは流石に冗談だけど。

とにかく、今日も予定を遂行できず自分のダメさ加減に嫌気が差すも、辻褄合わせに家事をしてみることも創作活動に手をつけることもできない、意識のある二酸化炭素製造機であるのが嫌だったので近況報告をしてみた。

気が向いたらまた来ます。

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