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夢は追うもので叶えるものではない

今日、夜に少しだけランニング。

そのときに、ある本の要約を聴きながら走っていました。

そこで出てきた

「夢は追いかけるもの。叶えるものではない」

という主旨の言葉。

夢を持つことは大切。
それは、行動を起こす活力になるから。

夢は叶えるものではない。
夢は叶えたとしても、その先にまたそれ以上の夢が無限に出てくる。
いつか、自分のキャパを超えた無茶な目標を追わなければいけなくなる。
夢を叶えた瞬間は嬉しくても、そこで終わってしまい、そのご無気力になる

なるほど、確かにそうかもしれない。

そう思うと色々と考えさせられた。

僕にも夢はある。
「死んだ後に教科書に載る」
という夢が。

その一方で、昔から「夢」という言葉がどうも好きにはなれなかった。

それは、実現可能性が低い物のことを「夢」と呼んでいるような気がしてならなかったから。

だから、僕はあまり「夢」という言葉を口にしてこなかった。

どんなことでも、「目標」という言葉を使っていた。

「人生の目標」「将来的な目標」いわゆる「夢」と言われるような言葉を、僕はこのような表現を用いて口に出していた。

でも、僕は子供には夢を持って欲しい。

夢を持って、将来に対するワクワク感を持つことはとても大切だと思うから。

夢を持つから、それに向かって頑張れる。
生きることが楽しくなる。

それは間違いのないことだと思う。

だから、夢は持って欲しい。

でも、その一方で、「夢は残酷」だと思うこともある。

先ほども書いた通り、「夢を叶えたことによる弊害」だってある。

また、みんな、小さい頃の夢を叶えられるわけではない。

むしろ、夢を叶えることが出来ない人の方が多いかもしれない。
(今日聞いた話だと、夢を全て叶えて死ぬ人はゼロだと言っていた)

つまり、「夢を諦めなければいけないとき」がくる可能性があり、それはとても残酷なものだと思うから。

それによって、人生の彩りをなくしてしまったり、生きる楽しみを失ってしまう可能性があったり、そういったリスクをはらんでいる。
(もちろん、別の夢が見つかり、夢を変更することで、最初の夢を諦めるパターンもあると思う。)

だから、僕は夢を持つことの大切さとともに、夢を叶えた後の世界を考えることだったり、夢を諦めることの大切さ、だったりも同時に教えていくことが大切だと思う。

そんなことを走りながらぐるぐると考え冴えられた。

「夢は追うもので、叶えるものではない」

今後も、このことについて少し考えていきたいと思う。

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